辰巳琢郎、ハマり役の浅見光彦は「ある意味役作りをしなかった」 読者に選ばれ出演オファー「なるほど僕の役だ」
京都大学在学中に「劇団卒塔婆小町」(現・劇団そとばこまち)の座長となり、1984年に大学卒業と同時に朝の連続テレビ小説『ロマンス』(NHK)に出演。知的な雰囲気と端正なルックスで人気を集めた辰巳琢郎さん。 【写真を見る】京都大学卒業と同時に朝ドラに出演することになった辰巳琢郎さん 『ロマンス』放送後も劇団の座長として1年間、同級生に5代目座長を譲ってからもプロデューサー業を続けていたが、1988年に劇団の体制を整え、後輩の生瀬勝久さんに座長を任せて退団。 俳優としてだけでなく、『連想ゲーム』(NHK)、『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ系)、『辰巳琢郎のくいしん坊!万才』(フジテレビ系)などクイズ番組やバラエティ番組にも多数出演し、“インテリ俳優”の先駆け的存在に。さらに今では、ワインのプロデュース、近畿大学文芸学部客員教授などさまざまな分野で才能を発揮している。
ハマり役の浅見光彦
1994年、辰巳さんは『浅見光彦シリーズ』(TBS系・全13作)に主演。知的で端正なルックスと品の良さが浅見光彦役にピッタリだと話題に。 ――辰巳さんと言えば、『浅見光彦シリーズ』が浮かびます。合っていましたね。 「ありがとうございます。浅見光彦は、どう考えても自分の役だ、という気持ちで演じていました。 ある出版社が、“浅見光彦シリーズの各キャラクターに誰がいいと思いますか?”という読者投票を行ったら、浅見光彦は僕が1番で、お母さん役の1番は加藤治子さんだったんですって。 その投票結果を元にしたキャスティングでTBSがドラマ化の許可をいただき、テレパックの制作で2時間ドラマのシリーズが始まりました。非常にありがたい出会いですよね。役との出会いは、我々は自分からこういうのがしたいと言って成立する場合もありますが、どんな役に出会えるかというのがほとんどすべてですね。 実は、出演のオファーがあるまでは、浅見光彦のことをまったく知らなかったんです。でも読者の方々に選んでいただけた。それから初めて原作を読んだんですが、“なるほど僕の役だ”と納得。ですからある意味役作りをしなかったと言えます」 ――辰巳さんというと、浅見光彦が浮かぶ人が多いでしょうね。 「30年前は確実にそうだったと思います。あるいは、今の50代、60代、そして70歳、80歳の皆様にもそうかもしれませんね。でも、若い俳優さんたちが新しい浅見光彦として演じていますから、今はもうだいぶ変わってきてるんじゃないでしょうか。 浅見光彦の撮影中は、本当に幸せな時間でした。いつまでも続いてほしいと思っていました。こういうハマリ役をひとつでもいいから持てていた。今でも大きな財産ですね」 1995年には、映画『ゴジラVSデストロイア』(大河原孝夫監督)に主演。国際物理学賞受賞者の伊集院博士役を演じた。 「主役はゴジラなんですが、一応主演ということになっています。僕らの世代というか、怪獣映画をよく見ていた人間としては本当にうれしかったですね。 でも当然ですが、ゴジラと同じ空間にいることは、撮影中はまったくないんです。まったく見えてないゴジラを想像しながら芝居をしてました」 ――辰巳さんは、選挙のたびにお名前が挙がりますが、政治家の役も合いますね。映画『S-最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE』(平野俊一監督)では総理大臣を演じてらっしゃいました。 「役だからいいですけど、大変な仕事だと思いますよね、政治家は。友人もたくさんいますが、嘆いています。まじめに良い仕事をしていても表には出にくい。でもちょっと問題が起きると大きく報道されてしまう。政治家にとってつらい時代ですよね」 ――選挙のときに候補者として名前が挙がることに関しては? 「迷惑ですね。困るんです。そういうことで名前が出ると、テレビ局側が怖がって仕事に使ってくれなかったりしますから。何よりも政治家になると、自由に好きなところにフラフラと行けなくなったりするじゃないですか。イヤですよ(笑)」 ――2010年には『ケータイ刑事 銭形結』(BS-TBS)に出演。コメディーセンスを発揮されていました。 あのドラマはプロデューサーが友人だったんです。“やってみない?”って言われて、“えー?”と思ったんですが、彼を信用して身を任せました。役名が『あさみつひこ』なんてふざけてますよね。 どれだけ低予算でドラマを作れるかみたいな(笑)。実験的でおもしろい面がありました。普通のドラマの10分の1ぐらいの予算で作ってたんじゃないですかね。30分のドラマを1カットで撮ったり、楽しい思い出がたくさんあります」 ――『龍三と七人の子分たち』(北野武監督)では、『平成教育委員会』のたけしさんが、今度は監督でしたが、いかがでした? 「たけしさんとは、『平成教育委員会』でご一緒して以来でしたけど、ちょっと緊張しました。僕の出番は1シーンだけで、撮影は2時間ほどでした。監督になると大変だなって。 映画の1シーンって、実はよく覚えてないんですよ。“この映画に出ていたっけ?”みたいなことがあったり。映画は部分部分を切って繋ぎ合わせるものだから、やっぱり監督しないとつまらないんじゃないかなという感じが昔からありました」 ――ご自身で撮ってみたいという思いはありますか? 「そういう気もなくはないですけど、大変だろうなあ…」