大失態!? 冬の海外移籍で苦しんだ日本人選手(3)あっという間に帰国…。散々だった日本代表ボランチ
2025年となり欧州主要リーグの冬の移籍市場が開幕した。Jリーグがオフシーズンのこの時期で日本から海外に移籍する選手もいるが、欧州のクラブがシーズン途中のこのタイミングでの加入は難しく、適応に苦戦することは珍しくない。今回は、冬の海外移籍で失敗した日本人選手を厳選して紹介する。
MF:山口蛍 生年月日:1990年10月6日 移籍先:セレッソ大阪→ハノーファー(ドイツ) 移籍日:2015年12月21日 アルベルト・ザッケローニ監督の下で序列を上げていた山口蛍は、2014年に行われたブラジルワールドカップ(W杯)で全3試合に出場。日本代表の中心メンバーとなる中で、2016年冬の移籍市場に満を持して欧州移籍を決断した。 当時のハノーファーは酒井宏樹と清武弘嗣が所属しており、日本人選手もいることから適応には困らないと思われていた。しかし、前半戦を降格圏の17位で折り返すなどチームの調子が良くなく、山口の獲得が発表された同日にミヒャエル・フロンツェック監督が自ら辞任を申し出ていた。 移籍発表直後に監督が辞任するという異例の展開の中、山口は後半戦の2戦目となったダルムシュタット戦でブンデスリーガデビューを飾る。しかし、トーマス・シャーフ新監督の下でもチームの調子が上がることなく、出場した6試合は1勝5敗と散々な結果に終わった。 3月の代表戦で鼻骨骨折および左眼窩底骨折の大怪我を負うと、そのままシーズンが終了。ハノーファーも2部降格となり、6月19日に山口のセレッソ大阪への復帰が発表された。
フットボールチャンネル