<独占インタビュー>“日本一勝負強い男”が2014年を振り返る、ソフトバンク日本一の真相
── それでも、選手会長、ムードメーカーとしてチームを引っ張りました。 「ムードメーカーは、いいところだけをクローズアップされます。でも名打者と言われる人でさえ10回のうち7回は打てないのです。お祭り男とも言われるんですが、それは本当にたまたまで、みんなで戦った結果にすぎません。本当は、ほとんど失敗しているのに、勝っていると、そこは目立たないだけ。人間って結果が出ているときは、普段に比べて倍以上の元気が出ますよね。でも逆に結果が出ないと落ち込みます。この隙間というか、ギャップをできるだけ小さくしたいという思いでプレーをしています。結果が出なければ、悔しいし、ベンチの裏では、怒ったりしていますが、みんなの前に立つと切り替えるんです。自分がダメなときこそ元気を出すんです」 ── 原点はどこにあるんですか? 「プロに入って1、2年目は元気がなかったでんす。でも、なかなか結果を残せず、3年目ですかね。『この世界で生きていくためには自分の何が売りなのか? 野球の技術以外に何があるか?』と自問したんです。そこで声を出すこと、元気を出すことを思いつきました。声だけは、ホークスで誰にも負けないでいこうと。今、31歳ですが、このスタイルは変えません。35歳になっても40歳になっても、永遠に変えないで行こうと考えています。元気のなくなったときが、僕が野球をできなくなるときだと思っています」 ── アマチュア時代からムードメーカー? 「高校(中京)、大学(亜細亜)と、人前で喋るのが苦手でした。元気もなかったんです。キャプテンは、練習の姿勢、背中で引っ張るべきだと考えていました。プロに入ってガラっと変わったんで、亜細亜のOBに会うと『プロに入って元気になったな』とビックリされます」 ── そんな自己変革を急にできるもんなんですね。 「追い込まれていましたからね。人間、こうするんだ!と決意をすれば、できるものです」 ── 今季は4番を打たず5番、6番、7番と脇役に回りました。 「イデホが入ったことが大きかったです。彼が全試合4番に座りましたから、役割分担がハッキリとしました。去年は、4番にも入ったし、打順がコロコロと変わってプレッシャーがありました。今年は、場面、場面で集中ができました」 ── 4番を打った人間が下位打線に回ることでプライドは傷つかないものですか? 「まったくありません。試合から外されると傷つくし、正直、むかつくことはありますが(笑)、スタメンで出してもらっている以上、打順は、関係ありません」 ── 若い選手が台頭しました。 「柳田は本当に凄いです。素材に加えて努力してきた人間ですから。柳田だけでなく、今宮、中村ら若い選手に言ってきたことは、『チームのことなど、どうでもいいから、思い切りいけ! 自分のことだけを考えて集中しろ!』ということでした。2011年に優勝したときには、チームの中心には、小久保さん、松中さん、多村さんらがいて、『本多、松田、長谷川の4人は結果を気にしなくてもいいから、自分のことだけを思い切ってやればいい』と言われたんです。そういう先輩たちのサポートに助けられました。それで日本一になれたんです。今年は僕がその役目を受け継ぐ番だと思って若い選手に『思い切り行け!』と声をかけ続けました」