長友佑都は再び輝けるのか
岡田武史監督時代から実に6年以上にわたって日本代表の左サイドバックに君臨してきた長友佑都が、5シーズン目を迎えたセリエで著しく精彩を欠いている。 2010年夏にFC東京から移籍したチェゼーナ、翌2011年2月に加入した名門インテルで長友はコンスタントにセリエAに出場してきた。しかし、今シーズンの出場は4試合、わずか185分間にとどまり、10月中旬には左ふくらはぎを負傷していることが判明。ナポリとの第7節以降で戦線離脱を強いられ、11月の国際親善試合に臨むアギーレジャパンのメンバーにも招集されなかった。現地時間6日に敵地で行われた、サンテティエンヌとのヨーロッパリーグの遠征メンバーには名前を連ね、約1か月ぶりとなるインテルでのプレーが期待されたが、直前で発熱による体調不良を起こしてベンチ入りも急きょ見送られた。
今シーズンからインテルの副キャプテンに就任した長友は、2009‐10年シーズンを最後に遠ざかっているスクデット奪還へ向けて並々ならぬ決意で開幕に臨んだ。しかし、昨シーズンまで主戦場としていた左ウイングバックは、ローマから期限付き移籍で加入したブラジル人のドドがファーストチョイスとなり、長友は右ウイングバックへの転向を余儀なくされた。 無尽蔵のスタミナと1対1における強さを武器に、左タッチライン際の攻防を制圧してきた長友は、自らの代名詞とも言えるポジションに対して強烈な自負心を抱いている。 10月の日本代表合宿時には、こんなひと幕があった。ハビエル・アギーレ監督の「長友は右サイドバックでも機能するはずだ」との発言に対して、言葉を慎重に選びながら次のように言及した。 「考えたことはないですけどね。ずっと代表では左でやってきたので。ただ、チームに対してそれで貢献できるのであれば、応えられるように僕も努力したいということだけです」。 アギーレジャパンでは左サイドバックとして3試合に先発しているが、インテルでの配置転換で蓄積させてきた違和感がプレーを狂わせたのか。10月10日のジャマイカ代表戦では、以前の長友ならば考えられないようなミスを犯している。 1点リードで迎えた後半34分。バックパスを斜め前方にいた相手FWに渡し、GK西川周作(浦和レッズ)と1対1となる場面をお膳立てしてしまったのだ。DF森重真人(FC東京)のとっさのカバーリングで失点を回避できたあわやのミスを、長友は試合後にこう振り返っている。 「ゴールキーパーに返そうと思ったけど、ちょっとボールが滑ってしまった」。 さかのぼること9月28日に行われた最下位カリアリとの第5節では、前半25分、27分と立て続けにイエローカードをもらって退場。インテルも1対4の惨敗で今シーズン初黒星を喫した。イタリア紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』はゲームキャプテンを務めた長友にチーム最低の評価を下すとともに、カリアリの先制点を決めたFWマルコ・サウに抜かれたシーンを含めて次のように酷評している。 「(カリアリの)ゼーマン監督に敬意を表すれば、11人対11人でもインテルは負けたかもしれない。それでも、これほどの屈辱は受けなかった」。 長友が出場停止となった次節のフィオレンティーナ戦でも、インテルは敗れている。責任感が人一倍強いがゆえに長友が心身のリズムを崩し、アギーレジャパンに合流したと容易に察することができるが、一方で昨シーズンの終盤から「筋肉系の疲労」を理由に欠場するケースも少なくない。 今シーズンだけでも、セリエAと並行して戦うヨーロッパリーグのプレーオフ初戦とグループリーグ初戦のベンチ入りメンバーから、同様の理由で外れている。元日本代表MFで現在は解説者を務める水沼貴史氏は、「かなり疲労が蓄積しているのではないか」と長友の現状を慮る。 「けががしっかりと治っているのかどうか。もし中途半端な状態でプレーしているのであれば、一度リセットしたほうがいい。リセットとはけがを治す肉体面の部分だけにとどまらない。メンタルの部分でややダウンしている部分があるのであれば、けがを治している期間にリフレッシュさせる。実力は疑いようのない選手なので、それほど深刻に考えることはない。4年前のワールドカップ南アフリカ大会の前から、それこそずっと全力で走り続けている状態が続いている。体幹の強さなどは長友の武器ではあるけれども、長く戦う過程で必ず歪みといったものが生じる。サッカー人生において順風満帆なステップアップを果たしてきたからこそ、踊り場で小休止するようなイメージを抱いて欲しい」。 筋肉系の疲労とは、限度を超えた負荷によって引き起こされることが多い。過度の負荷は、別の部位を無意識のうちにかばうことが原因となりやすい。長友とけがの戦いで思い当たるのは、2013年2月24日に行われたACミランとのダービーで痛めた左ひざとなるだろう。 診断の結果は「左ひざ外側半月板の関節包じん帯損傷及び外側半月板関節唇の軽微な放射性断裂」で、長友はいくつかのセカンドオピニオンを得た上で、手術ではなく保存療法で完治を目指すことを決断。途中出場した4月14日のカリアリ戦で患部を再び悪化させ、わずか8分間でピッチを去る悪夢に襲われても、左ひざにメスを入れることはなかった。