今季限りで清水退団のGK権田修一が明かした衝撃事実…「1年前に2024年以降の契約更新がないことを告げられていた」…異常な状況はなぜ起こった?
今シーズン限りで清水エスパルスを退団すると自身のSNSで報告していた元日本代表GK権田修一(35)が10日、ホームのIAIスタジアム日本平で行われたロアッソ熊本との最終節後のセレモニーで挨拶に臨み、1年前の時点で契約を新たに更新しないとクラブ側から告げられていたと明かした。権田は今シーズンのJ2リーグで開幕からフルタイム出場を続けるも、3年ぶりのJ1昇格を決めた10月27日の栃木SC戦を含めて、最後の3試合を突然欠場していた。異例に映る状況はなぜ起こったのか。 【画像】史上最強のSEXYクイーンら4人の“美ボディ”ラウンドガールが世界戦に登場!
あいにくの雨がさらに強く降りはじめたホーム、IAIスタジアムのピッチではじまった清水の今シーズン最終節後のセレモニー。山室晋也社長、秋葉忠宏監督らに続いて、チーム側のはからいで挨拶に臨んだ権田が衝撃的な事実を明かした。 2月の開幕からリーグ戦で35試合、3150分にわたってフルタイム出場を続けながら最後の3試合を突然欠場。ベンチからも外れていた権田は、ファン・サポーターへ「僕は元気です」と体調面は問題ないと強調しながらこう続けた。 「僕自身は1年前にクラブから、この2024シーズン以降は契約を更新する意思がないと伝えられ、ラスト1年、どうしたら来年J1に上がった後も落ちないチームに、もっと子どもたちや静岡の人、全国の人に愛されるエスパルスになるのか、というのを考えて過ごしてきました。僕なりにやれることは、やり切ったつもりです。まだ足りない部分ももちろんありますが、その種はまいてきたつもりです」 さらに権田が欠場していた間に決めた、3年ぶりとなるJ1リーグでの戦いへ向けて、涙でちょっぴり声を震わせながらこんな言葉も紡いでいる。 「正直、来年もJ1で、エスパルスで戦いたかったな、という気持ちはありましたが、僕を残さないと1年前に告げてきた方々に後悔させるような活躍を、他のクラブでやっていきたいと僕自身は思っています」 ポルトガルのポルティモネンセから加入したのが2020年12月。クラブ史上で2度目となる2022シーズンのJ2降格や、J1昇格プレーオフ決勝で昇格を逃した昨シーズンを含めて、権田をして「本当に濃い4年間でした」と言わしめた清水での日々へ別れを告げる言葉に、スタンドからは万雷の拍手と大歓声が降り注いだ。 今シーズンが始まる前の時点で、清水に所属するのは今年が最後だと告げられる。異例に映る状況下で、権田はなぜプレーしてきたのか。答えは権田の契約更新が発表された時期と、チームの編成に密接に関係しているといっていい。 自身にとって2度目のW杯となった2022年のカタール大会で、守護神を拝命した権田は全4試合にフル出場。数々のビッグセーブで評価を高めた大会後には、オーストリアのホルン、ポルティモネンセに次ぐ3度目の海外挑戦を志した。 しかし、権田が納得できるオファーが届かなかったからか。最終的にはJ2降格が決まっていた清水でのプレーを選択し、昨年はチーム始動後の2月1日に、今年は新体制発表会見のわずか2日前の1月3日にそれぞれ契約更新が発表された。 もっとも、今シーズンは状況が大きく異なっていた。 昨シーズンのセカンドキーパーを務め、J1昇格プレーオフ準決勝のモンテディオ山形戦、決勝の東京ヴェルディ戦でともに先発。後者では不運なPK献上もあって涙をのんだものの、権田がコンディション不良で欠場したピンチを救った大久保択生(35、現・いわてグルーじゃ盛岡)の退団が先に決まっていた。 前年と同じように海外移籍に対する権田の結論を待っていれば、チームの編成も大幅に遅れるおそれがあった。特に最後尾で存在感を放つキーパーの存在は長丁場のリーグ戦を戦う上で必要不可欠であり、清水は昨年末の段階で鹿島アントラーズから、東京五輪に臨むU-24代表に招集された経験をもつGK沖悠哉(25)を獲得した。