アントニオ猪木「遺骨争奪戦」衝撃の結末…青森にある「もうひとつの墓」を訪ねてわかった「意外な実態」
4番目の妻が眠る地に
青森県十和田市。青森県の奥座敷、南八甲田山の中腹にひっそりとたたずむ蔦温泉旅館近くの小さな墓地にある「アントニオ猪木家の墓」。 【写真】雪の中にたたずむ…特徴的なデザインの墓石 なぜ猪木の墓が青森にあるのか。なぜ「猪木家の墓」ではなく「アントニオ猪木家の墓」なのか。謎かけの答えは「田鶴子さん」にある。 前編記事『聖地になるはずが…アントニオ猪木が死の4ヵ月前、青森の山中に建てた「もうひとつの墓」はいま…』に続き、墓をめぐる確執の経緯を紹介する。 「4度の結婚と3度の離婚を経験した猪木さんにとって、最後の妻となるのが田鶴子さんです。周囲からは『ズッコさん』と呼ばれていました。二人は猪木さんの写真集を作る企画で知り合い、のちに結婚。田鶴子さんは猪木さんを献身的に支えましたが、2019年8月に亡くなりました。
夫婦の思い出の場所
蔦温泉旅館は二人が何度も訪れていた思い入れのある場所。とりわけ田鶴子さんはあの場所を気に入っていた。そこで、猪木さんは懇意にしていた宿のオーナーである丹野智宙氏に協力を依頼し、『アントニオ猪木家の墓』を建立しました」(プロレス関係者) 墓の建立式と田鶴子さんの納骨の儀が行われたのは2022年5月。猪木は全身の臓器に障害を引き起こす「全身性アミロイドーシス」という厚労省指定の難病を抱え、歩くことも厳しい状況であったが、現地を訪れて立ち会った。 猪木が永眠したのは、その約4ヵ月後。以来、墓は蔦温泉旅館が維持管理しているという。 ただ、蔦温泉旅館の従業員らは一様に「猪木さんの墓ですか? 私たちは何も答えられません」と口が重い。前出の関係者が続ける。
長女は分骨をよしとせず
「猪木さんの遺骨をめぐり、ご遺族と旅館側でひと悶着あったためです。 猪木さんは当初、青森のお墓で田鶴子さんと眠ることを望みましたが、十和田はあまりに遠く、冬は雪で閉ざされてしまう。そこで、最後は横浜と青森それぞれのお墓に分骨することを望みました。 しかし、猪木さんのお嬢さんらご遺族は分骨をよしとしなかった。田鶴子さんは猪木さんを献身的に支えましたが、一方で支援者など親しい人を猪木さんから遠ざけようとしたことでも知られています。そうした遺恨があり、田鶴子さんが眠る青森の墓には分骨されなかった」 たしかに「分骨はされていないと聞いています」(蔦温泉旅館の従業員)ということだが、生前の猪木さんが愛着を持ち、一度はここだと定めた墓所である。ゆえに、ファンが時折、訪れるのであろう。供物台にはビールなどが手向けられていた。 その類まれなカリスマ性で見る者の心を揺さぶった一方、周辺ではトラブルや争いが絶えなかった猪木。青森にある「もうひとつの墓」は、まるでその生きざまを物語るかのようだ。 ・・・・・ 【もっと読む】『「過激な仕掛人」から「40年来のタニマチ」まで…アントニオ猪木氏が晩年に縁を切った「3人の名前」』
週刊現代(講談社)