YAZAWAタオルにしみこんでいるのは汗だけではなかった…矢沢永吉のコンサート会場で目撃した衝撃的な光景
ある対象を熱狂的に推す人たちは、時にその対象を「神」と呼ぶ。では、彼らは神を見た時、どんな行動をとるのか。1994年7月に刊行された同名書籍を新装復刊した、ナンシー関『信仰の現場』(星海社新書)より、「矢沢永吉コンサート」にまつわる章を紹介する――。(第1回) 【この記事の画像を見る】 ■矢沢永吉のコンサート会場にある喜怒哀楽 註:記事の内容は、執筆当時のものですので、現在の情報と異なる場合があります。 何かを盲目的に信じている人にはスキがある。自分の状態が見えていないからだ。しかし、その信じる人たちの多くは、日常生活において、そのスキをさらけ出すことを自己抑制し、バランスを保っている。 だが、自己抑制のタガを外してしまう時と場所がある。それは、同じものを信じる“同志”が一堂に会する場所に来た時だろう。全員が同じスキを持っているという安心感が、彼らを無防備にさせる。日常生活では意識的に保とうとしなければ「傾いている」と世間から非難される彼らのバランスも、その場ではその「傾いたまま」の状態で「正」であるという解放感。肩の荷をおろしたように無防備に解放されるのである。 こういった「お楽しみのところ」に、大変恐縮ではあるが、私が潜入させていただく、というのが主旨である。そこには日常生活とは別のパラダイムが存在するはずである、という予測のもと、彼らの信仰の現場の喜怒哀楽、悲喜こもごもをお伝えできたら幸いと思っている。 さて、そんなこんなの記念すべき第1回目の現場は、「矢沢永吉のコンサート会場」だ。これは、しょっぱなにふさわしい大ネタであるとともに、主旨を理解していただくのにも非常にわかりやすい物件である。当然の選択、ワンアンドオンリーだ。
■ホールの周辺に数台のパトカー 矢沢永吉を信じる者たちが心のタガを外して集う現場。それも、今回私が潜入したのはごていねいにも山梨県民文化ホールでのコンサートだ。何がごていねいなんだかわからないが。 私は天皇が死んだ時も戦争が始まった時も、家の中で消しゴムを彫っていた人間である。3日や4日、一歩も外へ出ないことが珍しくない人間である。そんな私が「あずさ23号」なんて電車に乗って山梨へ行くということは、毎日電車に乗ることが当たり前の生活をしている人には考え及ばないほどの大事である。 私自身、一生のうちで「あずさ○号」と名乗る電車に乗ることなどよもやあるまい、とさえ思っていた。しかし、「山梨県民文化ホール・矢沢永吉コンサート」は、そんな私をも駆りたてる何かに満ちていた。そこには、矢沢と矢沢を信じる人々が私を待っているはずだ。 東京駅から1時間半で甲府駅に到着。時間は5時半、もう現場では開場が始まる頃だ。私たち(私と担当編集者)は駅前からタクシーに乗り県民文化ホールを目指した。 大通りからはずれた住宅街の中にあるホールが見え始めた瞬間、私は1時間半の長旅の疲れもふっ飛んだような気がした。何故ならホールの周辺に数台のパトカーがいるのである。来たかいがあった。タクシーから降りてみて分かったのだが、別に何のもめごともないのにパトカーはとりあえずいたのである。赤い回転灯をくるくると回しながら。 ■「気合いの入った」人たちの様相 それはまるで、矢沢永吉のコンサート会場にはパトカーがよく似合う、という様式美を体現するためにそこに存在しているかのようである。野音のキャロル解散コンサートの熱が時を超えてよみがえるようだ。 山梨県民文化ホールは建物の中に施設全体が組み込まれているので、開場を建物の中に入って待つことができるようになっている。しかし、もう開場時間だというのに建物の外にたくさんの人が。その多くは、数人で揃いの制服を着ていたり、祭りばんてんのようなものを着ていたりする、いわゆる「気合いの入った」人たちである。 ま、現在の矢沢のコンサートの客というのは、半分以上7割がたごく普通の人なんだけど。しかし、あの子たちはその気合いのあまり「ロビーで並んで待ってなんかいられねぇよ」という「祭りの前」状態なのであろう。「気合い」と「待ち焦がれる気持ち」が正比例することは否定できない。