【全日本】福田剛紀社長が独占激白 〝黒幕〟前夜の窮状「商標が差し押さえられたことがあって…」
2024年初頭、全日本プロレスは大激震に見舞われた。前年末から選手が大量離脱し、リング上は外敵王者が好き放題に。「黒幕」「洗脳」といった物騒な言葉も飛び交かった。だが、今や観客数も飛躍的に伸び、若手選手が台頭。一気に様変わりした。いったい舞台裏で何があったのか。騒動の中心にいた福田剛紀社長(58)の証言から、3回連載で激動の1年を振り返る――。 【写真】5年前、社長就任当時の福田剛紀氏 【全日本プロレス・福田社長 黒幕に操られたトップ(1)】 ――23年10月から不可解なことが続いた 福田社長(以下福田)まず話をさかのぼらないといけません。私が前の経営から全日本を筆頭株主になる形で引き継いだのが、15年11月でした。それからしばらく続く前社長時代は毎月、国産の高級車1台買えちゃうくらいの大赤字でしたが、一度でも銀行から借りたら返せないので、ずっと私個人の資金で特に選手、スタッフへの振り込みを最優先に考えて支えていました。 ――かなり厳しい状況でオーナーを務めた 福田 「全日本プロレス」の商標が差し押さえられたことがあってビックリしました。過去の白石(伸生)オーナー時代に会場使用料の未払いがあったんです。調べると商標はまだ白石氏が持っていました。彼と交渉したところ「これから3年間、全日本を潰さずに続けたら無料で渡す」と。そこで意地でも3年は続けてやろうと心に誓い、3年後、約束を果たしてくれました。 ――19年7月に社長に就任した 福田 いつまでも旧体制だと会社が潰れてしまうので、横浜DeNAベイスターズで集客の実績を挙げた五十嵐聡氏に、一定の給料水準で社長として来てもらうことにしました。経営改善に大きな期待をしてです。ですが、DeNA社内での活躍が認められて社長奨励賞か何かを受賞してしまい、着任が半年遅れることに。そこで仕方なく、給料ゼロ円で私が社長をやることにしたのです。半年後に五十嵐氏が副社長に着任し、得意分野のイベント業務を始めようとした時に直撃したのがコロナです。当時はいつまで続くかわからず、このままでは五十嵐氏の能力が宝の持ち腐れになるので、残念でしたが退任することになりました。 ――社長になってからも経営は厳しかったのか 福田 数年前にいよいよ資金が底を尽きそうな時があった。私の銀行口座から「1万円が引き落としできませんでした」という通知がきて、いよいよもうダメかと…。これでは「全日本プロレスを潰した男」として名が残り末代まで恥になる。このままでは人並みの生活もできないし、子供の授業料も払えないと思ったら、急に目の前が真っ暗になって…。車をぶつけて事故を起こしたこともあるんです。 ――22年9月18日には日本武道館で「50周年記念大会」を開催。観衆は4780人(主催者発表)だった 福田 盛況と思われた50周年記念大会も赤字でした。社員から「金一封が欲しい」と言われたんですが、出す余裕もなかったんです。先日、某団体で給料未払いが話題になりました。本当はあってはいけないことですが、この業界ではよく聞く話。全日本もその一歩手前だったから、人ごとではないんですよ。 ――つまり22年の夏ごろはかなり厳しい状況だった 福田 資金繰りでギリギリの綱渡りが続いていたころ、黒幕を通じてある団体から「一緒にやっていかないか?」という話が来ました。秘密保持契約があるので、残念ながら具体的な団体名や交渉内容を明かすことはできませんが。このままだと潰れる一歩手前だったので、「渡りに船」と思い折衝を進めてほぼ合意に至りました。それなのに「〇月〇日に発表しましょう」という段になって、急にその会社のオーナーが株を売ることになったとかで、その話が止まってしまったのです。 ――やはり黒幕がいたんですね 福田 まあ、そういうことです。
小坂健一郎