「脳」をバグらせて”呼吸困難”に陥らせる恐怖の”神経ガス”…ロシア反体制指導者が実際に味わった「いつ死んでもおかしくない」苦しみ
「もう終わりかもしれない」
飲み物のカートを押す客室乗務員の姿が目に入った。水をもらうかどうか考えていた。キーラによると、乗務員は私の返事を待っていたそうだ。私は黙ったまま乗務員を10秒ほど見つめていた。ついにキーラも乗務員も様子がおかしいと察したのだ。私は「ちょっと席を外したい」と伝えた。 トイレに行って冷たい水で顔を洗えば、少しはすっきりすると思ったのだ。キーラは、通路側席で眠っていたイリヤを起こし、私を通してくれた。スニーカーも履かず、靴下のままだった。スニーカーを履く気力もなかったわけではない。単に履く気にならず、これでいいと思ったのである。 幸い、トイレは空いていた。一つひとつの行動を振り返る必要があるのだが、ふだんはそんなことを気にしていない。当時、何が起こっていて、その後、何をしようとしていたのか。今になって意識的に努力して把握しなければならない。ここはトイレ。鍵がどこかにあるはずだ。いろいろな色のものが目に入る。これがおそらく鍵なのだろう。そいつをスライドさせる。いや、そうじゃない。よし、ここに蛇口がある。押せばいいのか。どうすりゃ押せるんだ?手を使うんだった。手はどこだ。手はある。水だ。顔を洗うんだった。頭の中には、ただ一つの思いしかない。何の苦労も必要としないことしか思い浮かばず、ほかのことはすべてかき消されてしまう。もう我慢の限界だ。顔を洗い、トイレに腰掛ける。そして初めて自覚した。もう終わりだ。 考えた末に「もう終わりかもしれない」と思ったわけではない。自覚があったからだ。 指で反対側の手首を触ってみる。ふつうなら、アセチルコリンという神経伝達物質が放出され、触ったという神経信号が脳に届くから、手首に何かを感じる。それは目でも確認し、触覚を通じて何なのか特定できる。
神経ガスの恐ろしさ
今度は目を閉じて同じことをやってみるといい。手首に触る指は見えないが、手首に触れたことは簡単にわかるし、指を離した瞬間もわかる。アセチルコリンが神経細胞間を伝わっていった後は、体がコリンエステラーゼという物質を分泌する。信号伝達作業が完了した瞬間に信号を止める役割の酵素である。この酵素が「用済み」のアセチルコリンを分解し、それとともに、信号が脳に伝達された痕跡もきれいさっぱり消失する。この機能が働かなくなると、脳は手首が触られたという信号をいつまでも際限なく受け取り続けることになる。 ウェブサイトに対するサイバー攻撃の一つにDDoS(分散型サービス拒否)攻撃というものがある。あれによく似ている。ふつうは1回クリックすれば、サイトが開くわけだが、1秒間に100万回クリックすると、サイトはクラッシュする。 DDoS攻撃に対処するには、サーバーを再設定するか、もっと強力なサーバーを導入するかだ。人間の場合はそれほど単純ではない。偽の神経信号が何十億回と押し寄せてくれば、脳は完全に混乱状態に陥り、目の前の状況を処理できなくなり、最終的に機能停止に追い込まれる。そしてしばらくすると呼吸停止が待ち受けている。呼吸自体、脳が制御しているからである。これが神経ガスと呼ばれる化学兵器の仕組みだ。 それでも私は力を振り絞って、頭の中で自分の体をチェックする。心臓はどうか?痛みはない。胃は?問題ない。肝臓その他の内臓は?不快感はまったくない。総合すると?ひどく不快だ。あまりにひどすぎる。いつ死んでもおかしくない。 どうにかこうにか再び顔に水をかける。席に戻りたいが、自力ではトイレから出られそうにない。鍵がどこにあるかもわからない。いや、すべて鮮明に見えるのだ。ドアは目の前にある。鍵もそこにある。そのくらいの力は残っているのだが、この忌々しい鍵に狙いを定め、手を伸ばし、右方向にスライドさせることがとんでもなく難しいのである。 『生命が枯渇し、抵抗する意志もなくなって迎えた「死」…プーチンが最も恐れた男・ナワリヌイの凄惨すぎる「最期」』へ続く
アレクセイ・ナワリヌイ、斎藤 栄一郎
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