「海岸芸妓」に謎のM旅館……東京のウォーターフロント《大森》《森ケ崎》を賑わわせた花街の記憶
『花街』の加藤政洋氏による全国「花街」めぐり。今回の舞台は東京のウォーターフロント、大森・森ケ崎。かつて海水浴場、鉱泉、花街として発展し、文人たちにも愛された土地だ。ある随筆に描かれた旅館の所在を探る旅は、かの土地の「記憶」を手繰る旅でもあった。 【写真】かつて大森には花街が…
《大森海岸》の誕生
かつて大田区の沿岸には、風光明媚な地の利をいかして、いくつもの海水浴場が形成されていた。旧大森区の大森海岸と森ケ崎海岸、そして旧蒲田区の穴守神社先にあった羽田などがよく知られ、なかでも交通機関の発達とともに料理屋街としていちはやく発展したのが磐井神社前の八幡海岸、すなわちのちの花街《大森海岸》である。 もともと潮干狩りなど、季節の行楽地として知られていた八幡海岸に、地元の名望家が海水浴場を開設したのは明治24(1891)年ごろのことであった。当初は、小屋掛けの脱衣所しかない粗末な海水浴場であったというが、交通の便のよい立地条件をみて、この土地が開けていくことを予想した目利きのいい人物が、明治26年5月、八幡橋に隣接する土地に「伊勢源」という料理屋を開く。 伊勢源の開業を皮切りに、日清戦争の好景気を追い風にして、海浜部や磐井神社周辺には、「魚栄」、「松浅」、「八幡楼」などの料理屋が店を開いた。海岸に面した眺望のよい料理屋は、海水浴シーズンになると海にせり出すように「納涼台」を設けて、多くの海水浴客や涼み客をあつめる。八幡海岸は帝都近郊の行楽地として発展し、いつしか《大森海岸》と呼ばれるようになった(図)。
「海岸芸妓」の隆盛
料理屋の開店に追随するかのごとく、この地に建ち並んでいったのが芸妓屋である。明治31、2年、地元の有力者数名が斡旋するかたちで、国道沿いに「三輪家」が店開きし、日露戦争後には「鯉家」(明治39年)、「日の出屋」(同40年)、「初鯉家」(同43年)、「立花家」(同44年)など、のちにこの花街を代表する芸妓屋の開店があいついだ。八幡海岸ないし大森海岸の芸妓ということからだろうか、「海岸芸妓」という呼称も定着する。 昭和2(1927)年に鯉家を中心として「大森海岸芸妓屋組合」が組織され、同六年には料理屋・待合からなる「大森海岸二業組合」も設立された。芸妓屋56軒、料理屋・待合あわせて38軒、このほかに周辺には100をこえる飲食店が集積し、「砂風呂」を呼び物とする料理旅館もあいまって、たんなる海水浴場にはとどまらない一大娯楽地へと成長したのである(大森区編『大森区史』)。
