エルサレム首都宣言 アメリカとイスラエルの関係は? 歴史的背景は?
イスラエルと最初に国交を結んだのはソ連
Q:イスラエルの建国にアメリカはどのような関わりをしているのですか? 西氏 イスラエルが独立を宣言した1948年5月14日にアメリカがイスラエルを国家承認したことは、トルーマン大統領が自慢したこともあって知られていますが、実は、アメリカはソ連ほどイスラエルの建国を助けませんでした。 アメリカは1947年11月、国連のパレスチナ分割決議案に賛成したので、アメリカの経済援助を必要としていた西欧諸国もイギリスを除いて賛成し、決議が可決されました。しかし、アメリカは48年3月になって新たな信託統治を提案し、5月14日にイギリスが委任統治をやめてパレスチナ内戦がイスラエル独立戦争になっても、武器の禁輸を続けました。 パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割することを容認する立場を、大国が初めて表明したのは、ソ連のグロムイコ大使が1947年5月に国連総会で行った演説です。ソ連はイギリスの中東における影響力を弱める目的で、分割決議のため衛星国の票をまとめ、チェコスロバキアからイスラエルへ大量の武器を輸出させました。イスラエルと最初に国交を結んだ国はソ連です。 Q:第一次中東戦争でイスラエルが独立を勝ち得た後も、イスラエルとアラブはたびたび戦争を起こしています。第二次中東戦争以降におけるアメリカのイスラエルに対する姿勢を教えてください。 西氏 1956年の第二次中東戦争では、スエズ運河を国有化し、ソ連圏から大量の兵器の輸入を始めたエジプトのナセル政権を倒す目的で、イギリスとフランスがスエズ運河を占領し、イスラエルはガザ地区とシナイ半島を占領しました。アメリカは、アラブ諸国の反発を懸念し、また、ハンガリー事件についてソ連を非難していたため、イギリスに経済的圧力をかけて、イギリス・フランス・イスラエルを占領地から撤退させました。 1967年の第三次中東戦争の直前、アメリカのジョンソン政権は、エジプトとシリアの攻撃が差し迫っているというイスラエル政府の主張を否定し、兵器の緊急空輸もイスラエル支持声明もしませんでした。戦争のさなかで米海軍の情報収集艦リバティー号がイスラエル軍に攻撃され、乗員34人が死亡、171人が負傷しました。イスラエルはリバティー号をエジプトの軍艦と誤認して攻撃したと謝罪し、アメリカ政府は謝罪を受け入れましたが、イスラエルはリバティー号を米軍艦と知りながら攻撃したとの見方も根強くあります。アメリカは、ソ連製兵器を装備したアラブ諸国に圧勝したイスラエルの軍事力を評価し、イスラエルとの関係を深めました。イスラエルがエルサレム旧市街を占拠したこともあって、アメリカでもイスラエルに対するユダヤ人の支持が強まりました。