スポーツ紙で“ナベツネ”の呼び名が使われなくなった事情…人情家の一面もあった「渡辺恒雄さん」の素顔
野球自体には興味なし「右打者はなぜ打った後、三塁へ走らないのか」
巨人のオーナーに就任するまで、実は野球をやったこともなければ、興味もなかったと公言していた。 「オーナーに就任してから何年もたった頃、野球に詳しい部下に対して『おい、どうして右バッターは打った後、三塁に走らないのか? そっちの方が近いだろう』と真顔で聞いたことがあったそうです。その程度の認識の人に、クビだ何だと言われる巨人のフロントや選手はかわいそうだ、と思ったこともあります。ただし、“プロ野球界の憲法”といわれる野球協約は、条文を暗記するほど読み込み、球団経営や選手との契約などに関する取り決めについては誰よりも精通していました」(読売グループ関係者) 野球というスポーツ自体に対する造詣が深かったとはいえなかったが、巨人の勝利には“無邪気”と表現したくなるほどこだわった。 「西武からFAで獲得した清原和博氏が1999年に故障続きで、わずか13本塁打に終わると、失望した渡辺氏は、翌2000年に清原氏が肉離れで戦列を離れた際、報道陣の前で『これで勝利要因が増えた』と“暴言”を吐きました。ところが、清原氏が同年の後半に活躍し巨人が日本一になると、手のひらを返して絶賛。また、2013年に田中将大投手が巨人を破っての日本シリーズ制覇を手土産にポスティングシステムでメジャーに移籍することが決まると、日本のプロ野球の空洞化を嘆くかと思いきや、『そうすると、来年の日本シリーズはだいぶ楽になる』と言っていました」(スポーツ紙デスク)
ホリエモンが球界に参入できなかったのは「ナベツネさんにあいさつしなかったから」
2004年には、近鉄バファローズの球団経営危機をきっかけに、球界再編問題が勃発した。渡辺氏は1リーグ制移行をぶち上げ、2リーグ制維持を求める選手会に対し、「たかが選手が」と発言し、世論の反発を招いた。最終的には、近鉄がオリックスに吸収される形となり、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入して、12球団2リーグ制は維持された。 この際、楽天より先にバファローズ買収による球界参入に名乗りを上げていた、当時ライブドア社長の“ホリエモン”こと堀江貴文氏は弾かれる格好になった。堀江氏は自身のYouTubeチャンネルで当時を振り返り、「僕がプロ野球界に参入できなかったのは、まずナベツネさんにあいさつをしなければいけない、という球界の暗黙のルールを知らなかったから」という趣旨のことを語っているが、そういう実情はあっただろう。というのも、DeNAが2012年からベイスターズを買収して球界に参入した際、渡辺氏は「南場(智子・現球団オーナー、DeNA代表取締役会長)さんと会ったが、非常にシャープな女性だった」と評していた。 ちなみに、渡辺氏は一般に“ナベツネ”の渾名で知られるが、おおむね1990年代後半以降、週刊誌などはともかく、スポーツ紙や一般紙のスポーツ記者はこの表記を一切使わなくなった事実がある。筆者は先輩記者から「読売を通じて、『ナベツネ呼ばわりは失礼ではないか。そもそも昔から“ワタツネ”とは呼ばれていたが、“ナベツネ”なんて呼ばれたことはない』と申し入れがあった」と聞いたことがある。 渡辺氏が本当に舌鋒鋭かった頃のプロ野球界では、セ・リーグ各球団は1試合1億円といわれた巨人戦のテレビ放送権料が頼みで、セ・パ交流戦が設けられる以前のパ・リーグ各球団はどこも球団経営が苦しかった。しかし、いまや東北楽天、北海道日本ハムなどの地域密着戦略が成功し、12球団がどこもそれなりに観客を集められるようになった。野球日本代表「侍ジャパン」も常設化され、かつてに比べると、巨人1球団に対する依存度は低下したといえる。渡辺氏の球界における権力は“巨人さまさま”の状況が生みだしたもので、このような人は球界に2度と現れないのではないか。 (取材・文/喜多山三幸) デイリー新潮編集部
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