出張だと妻に偽り、川に身を投げた「キャリア官僚」 なぜ“ありえない妄想”に取りつかれてしまったのか
30代半ばのキャリア官僚として多忙を極める宮崎恵一郎(仮名)は、ささいなことをきっかけに心を病み、果てに入水自殺を試みてしまう。救急搬送された彼を担当することになった精神科医で医学博士の西多昌規氏は、診察によって“ありえない妄想”に取りつかれたことを知る――。 【マンガ】精神科医や臨床心理学者らが監修した「自殺コミック」 (前後編の前編) *** ※この記事は、『自分の「異常性」に気づかない人たち』(西多昌規著、草思社)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
キャリア官僚が犯した“深刻な”凡ミス
「今晩もまた答弁書類の準備か……」 某省キャリア官僚の恵一郎も、今年で入省12年目になる。入省したときには、「国を変える仕事がしたい」「先々は国会議員にも」という熱い希望に燃えていた。 しかし、意気盛んだった彼も、人員削減や国政の混乱などで、最近はこれまで経験したことのない疲労を感じるときが多い。国会シーズンには質問への答弁書作りで多忙を極めるが、以前ほどのモチベーションは湧いてこないことを感じている。 今夜も帰りは終電を逃し、タクシーになってしまった。閑静な住宅地にある官舎に帰り部屋に入ると、作り置きの料理がテーブルの上に置いてある。小学生の長女はすでに寝ているが、妻も最近は恵一郎の帰りを待たずに就寝することが多くなった。仕方がないと思う反面、苦労している自分の帰りを待ってくれない不満、怒りはないわけではない。 とはいえ、イライラしている余裕はない。明日の朝、といっても日付は変わってもう今日なのだが、6時には起きて出かけなければならない。睡眠不足には強いつもりだ。 多忙な生活が続く中で、思わぬ事件が発生した。恵一郎が担当していた事業の中間報告書をまとめる時期になり、表計算ソフトでの経理作業が増えることとなった。そこで、今までミスを犯したことのない恵一郎が、単純なコピー作業を間違えてしまったのである。 課長から「この数字、ちょっと合わないんじゃないか?」と指摘されたところで、よくよく見ると桁がまったく合っていない数字が並んでいる。 「また作ってくれればいいよ」課長は単なる凡ミス扱いで、機嫌を悪くすることもなく大らかな対応だった。公的に配布する前のチェック段階だったので、業務上も致命的ではまったくない。 しかし、このようなミスは、高校や学習塾時代から犯したことがほとんどない。まして、入省してからは、学生時代とは比べものにならないほどの緊張感を持って仕事をしている自負があった。ミスの事実よりも、ミスをした自分に対する自信や信頼が大きく揺らいだことのほうが、恵一郎にとっては大きな衝撃だった。 以前は次々と押し寄せる仕事の負荷を克服してきたが、この一件があってからは「もしかして、ミスをするかも」という不安がよぎるようになった。