増え続ける「未婚シングル」を待ち受ける地獄…気ままな「ひとりの人生」を望む男女は実際どれだけいるのか?
生存権と報酬
たとえば、0歳から子供を預ける保育施設をめぐって、点数で優先順位が決まる現行の仕組みは明白な誤りだ。片親であるかどうか、共働きであるかどうか、どちらかが家事労働の専業であるかどうかは、「人は皆、ひとりである」という観点には無関係だからである。 出産や保育に関連する手当は「人口を増やしたこと」に対する報酬(2階)なのだから、当人たちの就業や所得の状況とは無関係に、子供を持ったすべての者に同じだけの報酬が与えられるのが当然だろう。 本気で子供の数を増やしたいなら、希望するすべての親の子供を、0歳から無条件で保育施設に預けられるようにすべきである。現在、社会実験中の「子供誰でも通園制度」の劇的な拡充が強く望まれる。 また新たに家族や子供を持つ、ないしは既存の関係性を持続させる努力に対する報酬は、シングルに対しても適用可能である。分かりやすいのは、生活保護だ。日本には「扶養照会」(親や兄弟などに、当該の人物への金銭的援助が可能かどうかを確認する)なる仕組みがあるが、「人は皆、ひとりである」なら、金銭的援助を期待できる血族がいるかどうかは支給要件とは関係ない。 むしろ、そうした保護を受けざるを得ない者のうち、親兄弟や親族と良好な関係を保っている(保つ努力をした)者が生活保護に加えて身内からの金銭的援助、生活上の支援を受けられる――その報酬を認めるほうが――血縁者による親密圏を維持、貢献、持続させる推進力に繋がるのではなかろうか。
「アップデート」はいらない
「人は皆、ひとりである」なら、現行の介護政策もまた不平等である。当事者の要介護度という指標は、介護を担う(疑似も含む)家族には関係がないのだから、要支援でも要介護1でも2でも、介護者が「ひとりの時間」を過ごすために、生活援助サービスを利用できないのはおかしい。家族を持つと、なぜ受けられる公的サービスが減らされてしまうのか。介護サービスは、年齢によってのみ区分されるのが公平ではないか。 では財源は? この言い方は、すべての議論を一時停止させるだけなので、ここでは言及しない。言いたいのは、つまり、「人は皆、ひとりである」を前提にして、2階、3階を積み上げていくことが出生率を上昇させ、家族や疑似家族との親密圏を構築する近道なのではないか、ということだ。 シングル: すべての国民に対して布かれるセーフティ・ネット(生存権)。 婚姻/準婚姻的契約: 生存権+社会的報酬1。 婚姻+養子 〉 準婚姻的契約+養子: 生存権+社会的報酬2。 婚姻+子供1人: 生存権+社会的報酬3。 婚姻+子供2人: 生存権+社会的報酬4。 婚姻+子供3人以上: 生存権+社会的報酬5。 国家の人口政策に対する貢献の報酬を段階的に積み上げることは、同書が模索する「アップデートされた未来」より実現可能性が高いように思うのだが――。 〈個人化と流動化が進む都市空間で、シングルが孤立せずハンガーダウンに陥らず、しかも困窮することなく暮らすにはどのような条件が必要でしょうか。本書では〝開かれた場所〟とそこから生まれる〝弱い紐帯〟が、従来の相対的に〝閉じられた場〟とそこから生まれる〝強い絆〟よりシングルにフィットすると考えました(…)シングルに関していえば、「役割のない個人」という存在から「役割の担い手としての個人」へと進化することが重要ではないでしょうか。これは結婚するべきとか子どもを持つべきと言おうとしているのではありません〉【7】 〈べき〉ではなくとも、「そのほうが心地良い後半生を送ることができる可能性が高い」とはっきり言えばいい。同書にも、多様な言い回しでそう書かれているのだ。評者は、本当に不思議でならない。いったいなぜ、マスコミやアカデミアは、これまで一千年以上にもわたって人類を持続させてきた「家族/婚姻/出産・子育て」を貶め、むりやりにでも打ち捨てんとする主張を繰り返すのだろうか。 文/藤野眞功 写真/shutterstock 【1】 宮本みち子・大江守之(編著)+丸山洋平+松本奈何+酒井計史(著) 【2】「東京ミドル期シングル~」より引用。 【3】「東京ミドル期シングル~」(第1章/大江守之)より引用。 【4】「東京ミドル期シングル~」(第3章/宮本みち子)では、アンケートに基づいて、積極的シングル(ひとり暮らしを続けたいと望む者)の割合を推定しようと試みている。たとえば、年収と積極的シングルの相関である。男の場合は、年収300万円未満から800万円以上のすべてのカテゴリーで「ひとり暮らしを続けたくない+分からない」と答えた者が50%以上を示す。 このパートを執筆した宮本は〈男性は経済力があるほど結婚への可能性と期待が高まるのに対して、女性は経済力があるほどひとり暮らしの可能性が高まる〉と言うが、はたして本当だろうか。 というのも、年収300万円未満から800万円未満の段階(4つの区分のうち3つ)までは、女性でも50%以上が「ひとり暮らしを続けたくない+分からない」と答え、年収800万円以上にいたってようやく、「ひとり暮らしを続けたい」と「ひとり暮らしを続けたくない+分からない」が拮抗する。 では、高所得の男は「結婚したい」のにできず、高所得の女は「(結婚できるが)自らの意思でシングルを志向している」ということになるのか。この感情をアンケートや簡単なインタビューで解明することは難しいのではないか。 評者の周囲にはマスコミ、アカデミア、金融、飲食店経営などで800万円以上の年収を得ている「女のシングル」が少なくないが、彼女らは日常的には――仕事の場面や友人ではない者が同席している場では――「ひとり暮らしが良い」と語るが、友人付き合いする者だけの場では「本当は誰かと暮らしたい」と漏らすことのほうが多い。もちろん男女を問わず、心の底から「ひとり暮らし」を好む人もいないわけではないが、評者の体感としては、極めて少数である。 【5】「東京ミドル期シングル~」(第5章/酒井計史)より引用。 【6】「東京ミドル期シングル~」(終章/宮本みち子+大江守之)より引用。 【7】「東京ミドル期シングル~」(終章/宮本みち子+大江守之)より引用。ただし、256頁の一節と257頁の一節を(…)を挟んで、前後を「転倒」させて表記している。
藤野眞功