増え続ける「未婚シングル」を待ち受ける地獄…気ままな「ひとりの人生」を望む男女は実際どれだけいるのか?
悲惨な末路
同書は、シングルたちの行く末を次のように分析している。 〈シングルが高齢になると、家族・親族は亡くなっていきます。自身が自分の家族を形成しないと、家族・親族に基づく親密圏は縮小していく、または、なくなっていきますので、行政サービスや市場サービス以外に、家族や親族に代わるような社会的コンボイ(サポートが提供されたり、受け取られたりする支え合いのネットワーク)の存在の必要性が高くなるでしょう。 その点では、現状では、多くのシングルにとっては、手段的サポートは家族・親族中心であって、他人(友人・知人)に頼るといった人間関係が多くはないといえます。それは、従来の家族・親族中心の親密圏以外の新しい親密圏が特に東京区部のミドル期のシングルに形成されているかという問題になりますが、これらの集計結果をみる限り、その可能性は低そうです。よって、もし親族に頼ることができなくなれば、誰にも頼れず、行政サービスや市場サービスに頼るしかなくなるというのが、ミドル期シングルの置かれている現状といえましょう〉【5】 丁寧な言葉遣いではあるが、ようするに人並み以上の金を稼いでいるごく一部を除き、ほとんどのシングルには「悲惨な末路」が待っているということだ。 〈人間関係の種類でみると、男性で4割強、女性で2割が人間関係の数が極めて少ない孤立型、孤立予備軍でした。さらに休日の過ごし方をみた結果では、ひとりで過ごす「おこもり型」が半数を占めていました(…)これらのシングルは、低学歴、低所得、無業、東京区部以外の出身者、友人知人が少ない、電話やSNSで交信しない、サポートネットワークが弱く、精神的・身体的に健康といえないという傾向があることがわかりました。経済的脆弱性と社会的孤立が表裏一体となっていることが想像できます〉【6】
必要なのは、支援ではなく報酬
日本社会を自縛するこの状況を打ち破るためには、どのような施策があり得るのか。選択肢はきわめて少ないが、「未来に対する投資」と「現在に対する投資」を同時におこなうことが必要条件になるだろう。未来に対する投資は、子供を増やすこと。現在に対する投資は、シングルのセーフティ・ネットを拡充すること。 なによりも肝心なのは「出産・子育て世帯/それを期待できる世帯への投資」と「シングルへの投資」を、二者択一(トレード・オフ/片方を選ぶと、もう片方を失う)の関係として扱わないことだ。 未婚者も既婚者も離死別者も、子供を持つ家庭も持たない家庭の構成者も、人はおしなべて「ひとり」である。ゆえに、国民全員が漏れなく保障されるべき「最低限度の文化的な生活」は、ひとりひとりの生存権として保障されなければならない。それがすなわち「シングルへの投資」である。 他方、出生率を上げることを目的とした「出産・子育て世帯/それを期待できる世帯への投資」は、生存権ではなく国家の人口政策に紐づく。生存権を1階とすれば、その上に積み上がる2階(報酬/インセンティブ)だ。これは1階の区分ではなく、ひとりひとりに対して完全に平等な1階に上積みされた2階になっていなければ意味がない。 現在の日本で出生率が上昇しない理由は、まさにこの点にあると言えるのではないか。2階は、個人の選択に対する「ささやかな支援や手助け」ではなく、国家の人口政策に貢献した対価としての「重みのある報酬」でなければならないはずなのである。