増え続ける「未婚シングル」を待ち受ける地獄…気ままな「ひとりの人生」を望む男女は実際どれだけいるのか?
〈東京ミドル期シングル〉とは誰のことか
『東京ミドル期シングルの衝撃 「ひとり」社会のゆくえ』(東洋経済新報社)は、東京都の特別区長会によるプロジェクトの研究チームを構成した5人の学者の論考をまとめた1冊である【1】。 〈東京ミドル期シングル〉【2】とは、東京で暮らす35歳から64歳までの「ひとり暮らしの男女」を指す。このカテゴリーには夫や妻と離死別した者や、地方に家族を残して単身赴任中の者なども含まれるが、大多数は未婚の独身者である。よって、本コラムでは「シングル」を「未婚の独身者」の意で用いる。 同書によれば、日本におけるシングル増加のメカニズムは、1950年代後半以降の〈地方圏から大都市圏への未婚若年層の大量移動〉【3】によって始まる。地方圏の家に生まれた子供たちが就職や進学によって大都市圏に移転し、そのまま地元の地方圏には戻らず、大都市の郊外で核家族(夫婦+子供2人)を構成した。 1981年生まれの評者を含む、1956年から85年の期間に誕生したこの集団の者たちが、既婚者として2人以上の子供をもうけていれば、日本の状況はずいぶん違ったはずだ。
強いられたシングル
この点において、現在の35歳から64歳までの年齢層に相当するシングルは、共同体がその持続のために要請する重大な社会的責任のひとつを果たしていないことになる。しかし同時に、この世代がかかる責任を果たし得なかった理由を「当事者の選択」だけに求めるのも妥当ではないだろう。 なぜなら、この集団を「結婚しない/できない」生き方【4】に誘導したもう一方の当事者は、日本社会の将来設計を怠った政府・官僚、国会を構成する与野党、自社の金儲けのためだけに大量の非正規雇用者を生み出し、下請け企業やフリーランスを不当に扱ってきた大手企業(高所得・正規雇用者の集団)、多様性の名のもとに「標準世帯」の社会的価値を貶めることに熱中してきたマスコミやアカデミアであるからだ。 子供を持つか持たないか、結婚するかしないか、誰かと共に暮らすか、ひとりで暮らすか。どのような生き方も否定されてはならない――シングルが増殖した要因の分析も、行く末の想定も緻密におこなわれているように感じられる「東京ミドル期シングル~」の切れ味を鈍らせているのは、やはりポリティカル・コレクトネスの被膜なのである。