センバツ高校野球 作新学院1年・柳沼翔さん 父の夢、大舞台で咲かす OBの強さんへ全力プレーで「恩返し」 /栃木
第96回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に出場する作新学院の硬式野球部は1902年に創部し、甲子園で春夏計3度の優勝を誇る。北関東を代表する伝統校であることから、時代をまたぎ親子で活躍する選手は少なくない。柳沼翔さん(1年)の父強さん(49)もかつて同校で白球を追いかけた1人だ。自身は立てなかった甲子園の舞台で、同じユニホーム姿の息子がプレーする日を心待ちにしている。【鴨田玲奈】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 強さんは、熱烈な巨人ファンである父親の影響で、野球一筋の少年時代を送った。高校入学前には「息子を江川卓のような偉大な選手にしたい」という父の願いを受け、一家で札幌市からさくら市に移住。1990年に作新学院に入った。 捕手として1年春からメンバー入りするなど頭角を現したが、チームは春夏通じて甲子園には一度も出場できなかった。卒業後は神奈川大で野球を続け、4年時に捕手としてベストナインに選出。高校、大学での努力が実り、96年のプロ野球・ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから6位指名を受け、翌年入団した。 プロの世界では実力を発揮することができずに99年に引退したものの、以降19年間続けた同球団のブルペン捕手で培った眼力を買われ、2019年にスカウトに就任。佐々木朗希や河村説人を担当してきた。 強さんの次男として埼玉県戸田市で生まれた翔さんは、6歳から野球を始めた。強さんは仕事で忙しい中でも、翔さんと過ごせる時間を見つけてはバッティングセンターに連れて行ってくれたり、近所の公園でノック練習をしてくれたりと、積極的に指導してくれた。 今でも覚えているのが、中学3年のころ、自宅のベランダで素振りを見てもらった時のこと。「5分だけ」と言って練習を始めたのに、「もう一回」「もっとやるぞ」と強さんの指導が止まらず、いつの間にか2時間たっていた。「一回で直せない不器用な自分に根気強く向き合ってくれた」と、父に心の中で敬意を抱いた。 翔さんが作新学院に入ったのは、そんな強さんに恩返しするためだ。「お父さんは甲子園に出られなかった。自分が同じユニホームを着て、甲子園に立っている姿を見せる」 固い決意を胸に人一倍練習に打ち込んだ。上手くいかずに悩んだときは、「謙虚さと素直さと感謝だけは忘れずに野球しろ」との強さんの言葉を思い出し、昨秋の明治神宮大会では一塁手としてスタメンの座を勝ち取った。冬は食事を多くとりながら筋力トレーニングに注力し、約2カ月で体重は4キロ増加。パワー不足を感じていたというが、184センチの長身を生かすことができてきていると実感する。 1月26日、センバツ出場が決まると、強さんは「おめでとう。プレーしている姿を見たいから頑張れよ」と祝福してくれた。翔さんは夢の大舞台を喜ぶ気持ちと、「絶対にメンバー入りしなくては」とのプレッシャーを同時に感じながら、今まで以上に気合を入れて練習に臨んでいる。 「ここまで来られたのはお父さんのおかげ。親だけど、恩師でもある。センバツでは、自分が全力でプレーしているところを見せる」と意気込む翔さん。強さんは「自分が立てなかった甲子園に立てるなんて羨ましい。1本でもいいからヒットを打ってほしいし、レベルの高い選手たちを間近で見て、たくさん学んできてほしい」と背中を押した。