米英仏がシリア攻撃 「第二のキューバ危機」になり得るか
きっかけは東グータでの化学兵器使用疑惑
今回のシリア攻撃のきっかけとなったのは、今月7日にダマスカス近郊にある東グータ地区のドゥーマで地元住民らに対して行われたアサド政権軍の攻撃であった。化学兵器によるものとの疑いがあり、70人以上が死亡したとされている。シリア国内で内戦の負傷者を救助する活動を行っている民間組織「ホワイト・ヘルメッツ」の関係者は、シリア軍のヘリコプターがドゥーマ上空で複数の爆弾を投下した直後に、周辺の住民らが体調の異変を訴え始めたと証言。爆弾には塩素ガスかサリンが詰められていた可能性があると指摘していた。 治療を受ける地元住民らの映像が世界中に配信されると、欧米諸国はすぐに反応を見せた。9日になってトランプ大統領がホワイトハウスで報道陣に対し、「軍と協議し、今後24時間から48時間の間に重大な決断をするだろう」と語り、シリアにおける化学兵器使用疑惑を激しく非難した。しかし、アサド政権は化学兵器の使用を否定。シリアを支援するロシアのラブロフ外相は、「(ドゥーマでの化学兵器使用は)仕組まれたものだった」と公言し、欧米諸国による反ロシア政策の一環であると主張した。オランダのハーグに本部を置く化学兵器禁止機関(OPCW)は12日、スタッフが14日からシリアに入り、現地で検証を行うと発表していたが、ミサイル攻撃は検証作業の開始前に実行された。 ロシアとイランはシリアのアサド政権をさまざまな形で支援しているが、特にシリアとロシアとの蜜月関係は長く、旧ソ連時代から続いている。中東でのプレゼンスを確立したかったソ連は、兵器の売却を通じてシリアやエジプトとの関係を構築。1957年には当時シリア空軍少佐で、後に1970年のクーデターで大統領に就任するハーフィズ・アサド(現シリア大統領バッシャール・アサドの父)が、ミグ17戦闘機の飛行訓練のためにソ連に10か月ほど滞在していたほどだ。このように多くの軍人や学生が50年代からソ連に留学しており、ロシア人女性と結婚したシリア人エリートも少なくなかったのだという。 シリアでは1963年と1970年にクーデターが発生しているが、シリアは国内の政治事情に関係なく、冷戦時にも外交方針を変えることなく、ソ連を支援し続けた。現大統領のバッシャール・アサド氏が大統領に就任してからも、ロシアとは有効な関係を維持しており、2011年3月から始まったシリア内戦では、アサド政権を支援する目的で最大4000人程度のロシア軍部隊がシリアに駐留している。