変わりゆく10年を見つめたカメラ 「吞ん兵衛横丁」と「育つ双子の命」 【東日本大震災13年の“あれから”】
■「さあ、これから」の2020年 客足は半分以下に
街づくりも進み、「さあ、これから」と思っていた2020年、新型コロナの影響で客は半分以下に減りました。出張や観光で訪れる人も今はほとんどいなくなってしまいました。 82歳になっていた菊池さんは「店開けてから順調だったが、年明けてからコロナ。とんでもない話だよね、本当に。こんなだったらやらなかったけどね」。 店の看板にはかつての「呑ん兵衛横丁」の写真が。 菊池さん 「やっぱり呑ん兵衛横丁が一番ですよね。仮設の時も、みんな前向きで一生懸命だった。仮設も楽しかった」 「(店は)こんなに広くいらない。 仮設のときもだけど、人がすれ違うのにぶつかったりするくらいなのが一番いい」
■更地が続いた大槌町 “8年目”以降に…
大槌町の中心部も、東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。ガレキが片付いた後、更地の状態が続きました。 4年目の2015年からかさ上げ工事が本格化し、6年目から建物が建ち始めました。しかし、8年目以降、撮影場所から新たな建物はほとんど見られませんでした。
■震災の前日に分かった妊娠 育った2人
内金﨑加代子さんの妊娠が分かったのは震災の前の日でした。2011年10月に生まれた双子の奏斗くんと啓太くんは2020年、9歳になっていました。 街の中心部で自転車店とカフェを営む内金﨑大祐さんと加代子さん夫婦。店は、震災の7年後に再建を果たしました。新型コロナの影響でカフェは一時、店内での飲食を取り止めましたが、感染対策をして営業していました。 内金﨑加代子さん 「(大槌で新型コロナの感染確認がなく)ゼロの方がピリピリしている。“第1号”になりたくないし、飲食なんで絶対(感染を)出すものかと、ピリピリしている」 鉄路も復活し、三陸鉄道が走っていますが、 「乗っている人は少ない」と話します。