変わりゆく10年を見つめたカメラ 「吞ん兵衛横丁」と「育つ双子の命」 【東日本大震災13年の“あれから”】
「あの日」から変わり続けた街と人―――。 岩手県の50か所以上で続けてきた定点撮影。津波でがれきに覆われた街は、更地になり、かさ上げされ、多くの場所で震災から7年が経った頃から建物が建ち始めました。10年が過ぎた後、目に見える変化は少なくなりましたが、今なおカメラを向け続けています。 【映像の記録】復興と生活…定点で撮影 岩手県・釜石と大槌 未来へつなぐ
■新たな加工場や魚市場 にぎわいを取り戻す
2013年の釜石港周辺は、津波の被害を大きく受けた建物は取り壊され、 更地になっていました。その後、かさ上げ工事が行われ、 海側に新たな加工場や魚市場も完成。山側は、さらに高く、7メートルまでかさ上げされました。 8年目、飲食店などが入る観光施設もできました。防潮堤も完成し、 2021年時点では、ハード面の整備は終わりつつあります。中心部の大町商店街では、大型の市民ホールも完成。にぎわいを取り戻そうと街づくりが進んでいました。
■震災前の名物 長屋風の「呑ん兵衛横丁」
その商店街の近くに、かつて名物の「呑ん兵衛横丁」がありました。 長屋風の飲み屋が約30店、軒を連ねていました。 横丁で最も古くからやっていた「お恵」。 店主の菊池悠子さんは2007年、「『近い距離で話ができるのはあまりない』っていうのね。こんなに年寄りでも、昔の話するのもいいなっていうことも言ってくれるんです」と話していました。 「呑ん兵衛横丁」は、津波で跡形もなく流されました。菊池さんは2011年6月、「この場所でやれればベスト。屋台でもいいから、ここに集まってやりたい」と話していました。
■年がたつにつれ…街には明かりが
震災の年の暮れ、内陸部に仮設の「呑ん兵衛横丁」ができました。場所は変わっても変わらない味がもてなしてくれます。かつてと同じ賑わいとはいきませんが、横丁は温もりに溢れていました。 年がたつにつれ、街に明かりが戻ってきました。 退去期限を迎えて仮設を出た「お恵」は2019年4月、1年の準備期間を経て町の中心部でようやく再開しました。横丁の他の店は新たにできた飲食店街に入る店があった一方で、資金面などの理由から再開を断念した店も。別々の道を歩んでいます。