時代や地域、宗教によって大きく異なる清潔観の比較文化史―福田 眞人『水と清潔――風呂、トイレ、水道の比較文化史』永江 朗による書評
◆浄/不浄をめぐるエピソード 今年の夏は暑かった。すぐ汗まみれになり、寝る前に風呂に入らないと、眠れる気がしなかった。しかし、こうした感覚や生活習慣は、いつでもどこでも普遍的だというわけではない。本書を読むと、時代や地域によってずいぶん違うことがわかる。 序章にインドの話が出てくる。インド、特にヒンズー教徒の間では、動かない水は不浄だとみなすのだそうだ。だから風呂桶の水は不浄。反対に、動いている水は清浄。聖なるガンジス川で行う沐浴は不浄ではありえない。たとえ雑菌がたくさんいても。雑菌が原因で多くの人が亡くなっても。浄/不浄、清潔/不潔の概念と信仰とが強く結びついている。 本書の帯のコピー曰く、「入浴を欠かさなかったイスラム教徒VS自らの糞尿の上に座し尊敬を集めたキリスト教徒」。 どういうことか。イスラム教徒は外部から都市に入るときやモスクで礼拝するとき、沐浴して身体を浄めることが求められた。一方、キリスト教では、洗礼を受けた身体は浄められ、汚れないとみなした。洗礼で神聖な水を振りかけたのだから、それを拭わないのが信仰にかなっているという理屈だ。エスカレートして、身体が不潔なほど魂は清く、逆に清潔な身体には汚れた魂が宿るとまで考えるようになる。 よって、ときどき極端なエピソードが出てくる。イザベラという色がある。茶色がかった灰色で、犬の毛色を表現するのに使われることが多い。その名の由来は15世紀スペインの女王、イザベラ。コロンブスの航海を援助したことでも知られる。彼女は生涯でたった2回しか風呂を使わなかったことを誇りにしていた。1回目は産湯か洗礼で、2回目は結婚式前夜だという。この女王、グラナダ陥落に際し願懸して、3年間も下着を替えなかった。垢にまみれて茶色くなったその下着の色がイザベラ色。 入浴は健康に悪い、という考えかたもあった。毛穴から病気の原因物質が侵入するというのである。だから健康のためには垢で毛穴を塞ぐべし! というわけで、人びとは臭くなる。そこで香水を使い、下着を替えた。亜麻布の下着をいかにチラ見せするかがオシャレの指標になったとか。 日本人は風呂が好きだとよく言われるが、必ずしも誰もがそうとは限らない。たとえば軍医でもあった森鷗外。家に風呂があったのに、風呂に入らなかった。ただし、毎日、儀式のように決めた手順で全身を拭った。蓙(ござ)の上に金盥や洗面具一式、汚れた湯を捨てるバケツを置き、一滴の水も外にこぼさなかった。フケが多く、新聞紙を広げてブラシで落とした。夏目漱石は風呂好きだったが、正岡子規は風呂が大嫌いだった。芥川龍之介も風呂嫌い。 巨大都市、江戸の知恵に感心する。江戸市中の糞尿は川に流さず、郊外の農民が購入して船に積んで運び、肥料にした。育った農作物は市中の人びとが購入した。江戸の街の人、農民、そして運送業者、それぞれの商いが成り立ち、市中の河川や地下水も汚れなかった。 終章にとても役立つ情報が。脱水症状になったとき、経口補水液が有効だが、製薬会社が製造したものでなくてもいい。清浄な水1リットルに大さじ4杯半の砂糖と小さじ半杯の塩を溶かしたものでもほぼ同様の効果があるという。 [書き手] 永江 朗 フリーライター。 1958(昭和33)年、北海道生れ。法政大学文学部哲学科卒業。西武百貨店系洋書店勤務の後、『宝島』『別冊宝島』の編集に携わる。1993(平成5)年頃よりライター業に専念。「哲学からアダルトビデオまで」を標榜し、コラム、書評、インタビューなど幅広い分野で活躍中。著書に『そうだ、京都に住もう。』『「本が売れない」というけれど』『茶室がほしい。』『いい家は「細部」で決まる』(共著)などがある。 [書籍情報]『水と清潔――風呂、トイレ、水道の比較文化史』 著者:福田 眞人 / 出版社:朝日新聞出版 / 発売日:2024年08月9日 / ISBN:4022631341 毎日新聞 2024年10月19日掲載
永江 朗
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