【追悼】星野富弘さんが手足の自由失って生み出した「花の詩画展」 口に筆くわえ創作活動、国境超えて「生きる力」に
クラブ活動の指導中の事故で手足の自由を失いながら、口に筆をくわえて絵画や詩の創作活動を続けてきた群馬県出身の星野富弘(ほしの・とみひろ)さんの作品50点を紹介する「花の詩画展」が5月10日から19日まで、東京都江東区の高齢者福祉施設「故郷の家・東京」で開かれた。星野さんが4月28日に呼吸不全のため78歳で亡くなった突然の訃報を受けて「追悼展」と位置付け、記帳台も設けられた展示会には多くの関係者やファンが足を運んだ。 【写真】「うつるから話しかけないで」クラスの友だちが急によそよそしくなった…ある障害を抱えた女性が開いたカフェは
今回の開催は施設に入居する韓国出身の高良順(コ・ヤンスン)さんが30年以上前から抱いてきた夢が実現したものでもあった。星野さんの出身地、群馬県みどり市にある「富弘美術館」は開館から今年で33年目を迎え、入館者は700万人を突破。命の輝きや人生への思いを表現した作品展はこれまで全国各地約250カ所だけでなく、ニューヨークやサンフランシスコなど海外でも開かれており、国境を超えて「生きる力」につながる作品が今も共感を呼んでいる。(共同通信=田村崇仁) ▽体育教師の20代で頸髄損傷、残した作品は数百点 「友人として彼の死を受け入れるにはまだまだ時間がかかる。それでもこの追悼展は一人の人間が78年生きた証みたいなもの。本人をしのぶ気持ちも含めて作品は生き残っていくし、その一歩を踏み出せる」。追悼展の開会に駆け付けた「富弘美術館」の館長で星野さんと幼なじみの聖生清重(せいりゅう・きよしげ)さんは5月10日、しんみりと思いを語った。
群馬大卒業後、中学校の体育教師になった星野さんはまだ20代だった1970年、指導中に前方宙返りの模範演技を見せようとして起きた不慮の事故で頸髄を損傷し、首から下の身体機能を失った。入院中、見舞いにもらう手紙への返事を書きたくて、口で筆をくわえて文字や絵を書き始めたのをきっかけに創作活動をスタート。一字でも、一本の線でも描けるようになると、スポーツで新記録を出したような喜びがあったという。こうして四季の草花の水彩画に詩を添える「詩画」と呼ばれる作品を生み出し、次第に個展が話題となるようになった。 聖生さんによると、やんちゃで人を笑わせるのが大好きな少年だった星野さんは青春時代、器械体操やロッククライミングに熱中。筋骨隆々の鍛え上げた体から手足が動かなくなり、絶望の深淵に立たされた。それでも人生の過酷な現実を受け入れ、1点仕上げるのに半月から1カ月かかるという作品の数々は数百点に上る。朗らかな人柄でユーモアも忘れず「持てるもの全てを出し切って天国へ旅立った」と友人である故人を悼んだ。