日本経済総予測2025 迫る大阪万博 「たのしみ」を期待しない 日本の「これから」を探る場になれば 佐滝剛弘
大阪万博は開催まで5カ月を切ったが、全体像が見えない。その国の姿の「合わせ鏡」ともなる万博に、私たちは何を見て、何を感じ取ればいいのか。 ◇開催まで5カ月を切った 2025年の日本最大のイベントの一つが、4月13日から半年間開催される大阪・関西万博であろうことは日本に住む多くの人が理解しているだろう。一方、そこで私たちは何が見られるのか、何を楽しみに出かけたらいいのか、開催まで5カ月を切ってもあまり伝わってこないというのが、大方の受け止めではないか。 日本の高度成長真っ盛りに開かれた1970年の大阪万博。戦後の復興を遂げた姿を世界にアピールしようとする情熱と、ようやく世界と再びつながり始めた日本に多くの海外パビリオンが集結した巨大な祝祭空間の熱気が混じり、強力な吸引力が生まれ、多くの観客を集めた。まさに当時の日本の“姿”を、その場で実体験できた。 一方、現在の日本は、低成長が続き、自然災害や気候変動の悪影響、少子高齢化、深刻な人手不足に襲われている。そのような中で再び開かれる万博に、私たちはどんな夢を託せばいいのか。決して世界最大級の木製リングを見ることでも、IR(カジノを含む統合型リゾート)につながることで見込まれる関西の失地回復を応援することでもないはずだ。 いまやAI(人工知能)が発達し、メタバースなどのオンライン上の仮想空間でどんな体験でも疑似的に可能になる時代だ。国家が威信をかけて開くイベントにわざわざ足を運ぶ意味は、日本のリアルな現在地を確認する“合わせ鏡”を見に行く行為に他ならない。近年の観光やレジャーは、SNSの情報をきっかけに気に入った風景やグルメの写真を撮る追認の旅が定番だが、万博はそれと同じようなたのしみが提供される場だとは思わない方が良いだろう。 ◇入場者数ではない意義 こうしたイベントでは、どうしても入場者数の多寡が成功かどうかのメルクマールになりがちで、主催側もその獲得に躍起だ。だが、日本は21世紀の中盤に向け、どんな国を目指すのか、混迷が深まる国際社会でどんな役割を果たそうとしているのか。そのようなことを少しでも感じられるイベントになれば開いた意味があるし、仮に訪問者が少なくても、そのメッセージが足を運ばなかった人に間接的にも伝われば、万博は一定の役割を果たしたことになろう。