「自死を考えたときも」短歌ブームの火付け役が語る、ドン底のなか救われた“お笑い”との出会い
自殺を考えた日々に出合った「お笑い」
藤井さんは落ち込んだ枡野さんの姿を見ていた。 「大きな本屋の短歌コーナーなのに枡野の著書がなかった。『枡野の歌集が置いていない。僕は歌人としてもう終わりかも。誰も枡野のことなんか必要としていない』と絶望的な顔をしていました」(藤井さん) 安眠効果のある『ヤクルト1000』を飲むと、深くぐっすり眠れる分、悪夢をよく見るという枡野さん。 「実は10年前にソニー所属で芸人活動をしていたことがあったんです。きっと悔いが残っていたんでしょうね。その当時の夢ばかり見るようになったんです。ずっと離婚の悪夢ばかりを見ていたのに」 歌人としては十分な知名度を誇っていたころだった。 「自殺を考えたこともありました。直前に教科書に短歌が載ったし、本は売れていたけど、短歌界に居場所はない、子どもにも会えない、どん詰まりで夢も希望もない時期に元『ABブラザーズ』の松野大介さんが『お笑いライブを見にいかない?』と声をかけてくれたんです。 そこには『アンドレ』という二人がいて、一人は後に『にゃんこスター』となるスーパー3助さんなんですけど。ドラムモノマネの達人とか、みんな個性的。面白くて、うらやましくなっちゃって。『こんなふうにお笑いじゃないものをお笑いにしている』と感動しました」 枡野さんの心に一筋の光を当てた「お笑い」。花見の最中に運命の啓示とも思える光景に出合い、心を決めた。 「その日は花見の予定だったんですが雨で中止になったんです。雨が一瞬やんだときに桜を見ていたら急に『短歌をお笑いにすればいいんじゃないか』と思いついたんです。そうしたら目の前の桜が急にキラキラと輝き始めたように見えて」 来るもの拒まずという方針の事務所で、枡野さんはすぐに『ソニー』預かりの芸人となったが、人気投票では上がったり下がったり。まずはダンサーと組むが、相方が忙しくなってピンになり、別コンビを組み、最終的にトリオとなった。しかしソニー時代は失敗続きだったという。 「錦鯉さんとか僕たちトリオと3組くらいがライブに出て、僕たちが変にウケちゃった日があったり。ライブに出版関係者を呼んだら票が集まっちゃって。それはかなり顰蹙を買いましたね」