「自死を考えたときも」短歌ブームの火付け役が語る、ドン底のなか救われた“お笑い”との出会い
結婚、そして離婚。妻からストーカー扱いされて─
29歳で『君の鳥は歌を歌える』(マガジンハウス)を刊行した直後、女性人気漫画家と結婚した。 「僕はもともと彼女の作品のファンだったんです。知り合ったときの彼女は既婚者で、お子さんもいたし、相手にされないだろうなと思っていました」 出版社のパーティーで顔見知りになったことをきっかけに、彼女の自宅に招かれるように。 「食事に誘われた僕は浮かれ気分でした。そのときはまさか彼女が僕を男性として見ているなんて思っていなかったから、彼女の娘さんと紙風船で遊んであげて、家政婦さんが作ってくれたごはんを食べてその日は帰りました。でもまぁ、その後そういう関係になって。僕はただ無邪気に『子どもができたら結婚してくれるかな』なんて思っていて。上の子のお父さんになる気でもいたんです。まだお互いのことを全然知らないことにも気づかずに」 幸せの絶頂にいた枡野さんは違和感も見過ごしていた。 「初めてのデートは新宿ゴールデン街でした。彼女は僕が酒に強いと思っていたようなんですが、実は僕は酒が飲めない。あまり僕のことを見ていないんだなと思いました」 枡野さんが望んだとおり、付き合ってすぐに2人の間には子どもができ、彼女の家に転がり込む形に。ただこのころにはすでに2人の間にはすきま風が吹いていた。まだ妊娠中から、ケンカが絶えなくなった。 「お互いを知らないままだったんです。今になって思えば僕も口うるさかったと思うのですが、当時の僕は妊娠中の彼女が酒を飲んだりタバコを吸ったりすることが嫌だった。だから口うるさく言ってしまったんです。でも彼女からしてみれば、いろいろなストレスもあっただろうし、漫画を描くのも大変な中で酒やタバコくらいやらせてよという気持ちもあったんだと思う」 長男が生まれてから、徐々に枡野さんの家庭での居場所は奪われていった。 「彼女が『家に人がいると仕事ができない』と言い出したので、新たに仕事場を借りて、そこで仕事するようになりました。ケンカになったら、家の鍵をかえられ、徐々に追い出されていったんです。 ある日、自分の保険証を取りに行ったら、警察を呼ばれたことも。僕としてはケンカしただけで、そこまで嫌われているなんて思っていないからそのときも無邪気に彼女にミスタードーナツの差し入れとか持っていったりして。それがストーカー扱いされて……」 さらに一人暮らしのときの借金を任意整理した際の書類を見られて、さらなる不信感につながった。 「『知らなかった』と責められましたね。僕は雑誌で、すでに言っていたんですが、彼女は僕のインタビューを読んでいなかったんです。僕の特集をしてくれたときの記事で、彼女は挿絵も描いてくれているのに、読んでいなかった。こっちは当然知っていると思っていたけど、彼女からしたら『聞いてない!』って」 その後、漫画家とは離婚した。離婚のことは、『結婚失格』(講談社文庫)や、『週刊朝日』の連載をまとめた『あるきかたがただしくない』(朝日新聞社)にも書いた。職業設定以外は、枡野さんから見た事実だ。 「離婚が成立してからやっと息子に会えたんです。ちょうど彼が3歳のころ。僕の親に会わせに行って、父が僕の子に将棋の駒や盤をいじらせていたんです。これが1回目。その後、息子は棋士を目指すんですけど。 2回目はお台場に連れて行って観覧車に乗せました。3回目の面談の日に息子は来なかった。弁護士を通じて問い合わせたら、『元奥さんが行方不明になった』と言うんです。嘘だと思ったけどこちらからしたらそれ以上聞けないんですよ」