東大生レーシングドライバー「新原光太郎選手」の秘密に迫る
SUPER GTのイベントで併催されているFIA-F4選手権。トップドライバーを目指す若手ドライバーがチャレンジするカテゴリーとして知られるフォーミュラレースだ。ここから巣立ったドライバーは日本国内に留まらず、F1やWEC(世界耐久選手権)など世界を舞台とする戦いに挑んでおり、そのチャンスを自らも掴もうと夢を追いかけるドライバーたちが毎戦切磋琢磨してしのぎを削っている。 東大生レーシングドライバー「新原光太郎選手」の秘密に迫る
今シーズン、2年ぶりのフル参戦でチャンピオンを目指す新原光太郎選手もそのひとり。現在、東京大学の理科一類2年生でありながら、F4に参戦し、さらにはHRS Suzuka(ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)も受講中という。日々、どのようにキャンパスライフとモータースポーツ活動を両立させているのか、エネルギッシュな新原選手をクローズアップする。
5歳で始めたカート。親からの反対はなかった
── モータースポーツとの出会いは5歳とのこと。
新原光太郎(以下、新原):父がクルマ好きで、僕は小さい頃から父のクルマ好きに影響されながら育ちました。父の知り合いにカートコースを経営している方がいるのですが、5歳のときにそこでレンタルカートに乗せてもらい、そのときに面白いと興味を惹かれてやり始めました。
── 週末はカート三昧だったのですか?
新原:平日は学校の友達と公園で遊んだり、もしくはくもん(公文式)とか塾に行ったりしてたんですけど、土・日、祝日は一日中カートコースに入りびたったりして、ずっとカートに乗ってました。
── カートに夢中になるなか、ご両親は何も言われなかったのでしょうか?
新原:反対は一度もされたことがなくて。父は、本当にやるからにはとことんやるというか、最後までやり切るというスタイルの人。僕と同じぐらいか、それ以上のやる気をずっと持ち続けていました。
── 勉強せずに、カートだけやりたいと駄々をこねたことは?
新原:最初は「勉強しなさい」と言われてたことも記憶にはあるんですが、なんていうかそれ(勉強とカートの両立)が当たり前の生活だったので、あんまり不満を言うことはなかったですね。勉強が特段好きだったというわけではないんですけど、平日は勉強をして、土・日はレースをして遊ぶ……みたいな、そういうサイクルができてたんです。特に苦ではなく、楽しくできてました。