バレンシアの地で、東日本大震災を思い返す
「洪水、大丈夫??!」 la Dana(ダナ)と通称呼ばれている、バレンシアで発生した今回の大災害からまもなく1ヵ月が経とうとしています。 日本でも大きくニュースに取り上げられたようで、たくさんの友人から安否確認のメールをいただきました。 幸いにも私の住むバレンシアの中心地は、大きな被害はなく変わらず日常生活を送ることができていますが、ほんの10キロ(自転車でおよそ35分程度)ほど離れたエリア(Paiporta : パイポルタ市)は、かなり悲惨な状況とのことで、日本に限らず世界のどこに居ても、自然災害の脅威は常に隣り合わせなのだと改めて感じました。 災害の概要などはネットやニュースで取り上げられていますので、バレンシアに居た者の1人として時系列で少し自身の記録をしておきたいと思います。 10月29日(火) 洪水発生 早朝、二重窓でも凄い雨の音で、何となく目が覚めたのを記憶する。この日は午前授業のため、午前9時前頃には家を出たが雨はほぼ止んでいた。 午後8時すぎ、友人Aと落ちあう話をしていたところ、突如スマホから大音量のアラート(1回目)が鳴り響く。 すぐにローカルの友人から「市民保護局から警報が出されたよ!! バレンシア周辺一帯が浸水しています。絶対家から出ないで。そしてエレベーターには乗らないで」というメッセージと共に、浸水している地域のマップと、火花を散らせながら水に浮かび流されているたくさんの車の動画が送られてくる。その動画を見た瞬間、息を呑む。まるであの津波みたいな状況だ……と。 「天気予報ではすごい雨になるみたいだね」と、クラスで話をしていたのとは裏腹に、風はかなり強かったものの、このアラート発令時点でも市内はほとんど雨は降っていなかった。そして「エレベーターに乗らないで(停電になったら閉じ込められる、こちらでは一般的に建物内に入ると携帯の電波は悪い)」というのは盲点だった。 10月30日(水) 洪水発生翌日 午前7時20分、再びスマホからのアラート(2回目)で目が覚める。授業はあるのか戸惑ったものの、学校より通常通り授業はあるとのお知らせ。雨風はなく、空は回復しつつあると感じる(トップ画像)。 午前11時すぎ、たまたま飲み水がなくなりそうだったのでスーパーへ買い出しに行ったところ、普段では見ることのない人の多さ、さらに大量に水と食料を買い込む人々。何となく嫌な予感を感じながら売り場に行ってみると案の定、水が激減。 このスーパーは朝9時30分からオープンしているので、おそらく1時間半ほどでこの量まで減ったと思われる。ここで初めて何か身に迫る危機感というものを少し感じ、とりあえず6Lの水ボトル(1本約€0.8=¥133 ※1€ = ¥166で換算)を2本購入(値段は6Lにほぼ等しいので普段は一番大きな8Lを購入しているが、この時点で売り切れていた)。午後にもう一度スーパーへ行ったときには、水のみならず炭酸水も完全に売り場から消えており、お肉や野菜などもほとんどなくなっていた(他店も確認してみたところ同様)。 午後クラスにて、先生の家は電気も水道も止まっているとのこと。自宅から少し離れたところに住んでいるローカルの友人からも電気・水道が止まっているとの知らせ。 11月1日(金) 洪水発生から2日目 祝日のため3連休に突入。通っている学校より近隣のNGOと協力しフードバンクを立ち上げたので、衛生用品(子供・大人用)・食料品の寄付を生徒に募るお知らせ。学校スタッフは300個のボカディージョ(スペインのバゲットサンドイッチ)を作り地元の教会コミュニティに届けるとのこと。学校のグループメッセージには、被災地のボランティアに関する情報やお金を寄付するのはどこがいいかなどの情報が交錯。寄付の買い出しに備え「本当に必要な支援物資、不足しがちな救援物資」は何かをネットで調べる。寄付は認定された機関へすることに加え、スーパーの前など、寄付を装ってお金を集める人がいるので注意とのグループメッセージに喚起。 11月2日(土) 洪水発生から3日目 学校のグループメッセージには、ボランティアへ向かった生徒たちの情報などが飛び交い、少しカオスな状態に。「バスに乗って現地に向かったけれど、数時間待たされている」「被災地へ一向に入れない」「悲惨な状態の学校の泥出しを手伝っている」「ボランティアする組織がまったくオーガナイズされていない、イライラする」「各々がベストを尽くそうと努力しているし、物凄いボランティアの人数を組織するのに少しの時間しかなかったのだから、辛抱強く待つべきだ」などなど興奮と混乱が入り乱れる。 東日本大震災のときは、被災地から離れたところに住んでいたため、ただただ日々繰り返される悲惨なニュースを見ながら当時何もできなかった自分を思い起こし、後ろめたさを感じさせられる。ボランティアの心得、災害への備え、避難所生活の実態など、ネットでさまざまな記事を再び読みながら日本から離れたバレンシアの地で、改めて13年前の震災を振り返らされた1日。震災から学んだ日本の防災・支援の情報が必ずしもスペインにマッチするとは限らないが、大災害を経験した国の1つのケースとして「防災の専門家」のある記事をグループメッセージにシェアした。 11月3日(日)洪水発生から4日目 午前12時すぎ、学校より別の救援物資の届け先・ボランティアミッションの情報が届いていたが、政府より被災地への民間の立入が禁止となったため中止。今日はゆっくり休んで来週からまたできることをやっていきましょう、とのお知らせ。スペインのフェリペ国王とレティシア王妃が被災地のパイポルタ市を訪れるも、不満を募らせた一部の住人から泥を投げつけられるというニュース。 3連休明け以降~現在 連休明けの月曜日。生徒間の1番の話題はこの災害に関することが非常に多かったように感じる。ボランティアに行った生徒、行かなかった生徒、若者はとくに行くべきよ! とけしかける生徒、交通機関が止まっているため学校へ来れない生徒、そして先生たち。11月9日(日)には、当局の対応の遅れ・州首相辞任を求めて13万人という大規模な抗議デモが起こる。自宅前の大通り、デモの大行進をかき分け自転車を停める。 1週目は学校でも何だかんだ「ダナ」は話題になっていたものの、翌週の2週目にはあまり話題になることもなくなった印象。私の家にはテレビがないので、スペインの公共テレビ「rtve play」のNOTICIAS 24Hというネットニュース動画で動向を追っていた。日々増える死者数と共に伝えられる現地の状況が常にニュースになっていて、先週まではトップにダナ専用カテゴリがあったが、この記事を書いている本日にはそれもなくなっており、24Hのニュースもダナ以外のニュースが多く放送されている。市内のバスは運行しているものの、メトロは現在も運休中。 この一連の災害を通して、一番印象に残っているのはルームメイト(ギリシア人)の友達だ。彼女はバレンシアに遊びにきていて1週間ほど私のピソに滞在していた。災害後の最初の連休の土曜日、夕方私がシャワー室へ向かう途中、彼女が帰宅する気配を感じた。シャワーから出てくると、玄関には泥だらけの靴。そして泥だらけのズボンを持った下着姿の彼女とすれ違う。この1週間、共用のキッチンで会っても挨拶程度であまり会話が弾むタイプの感じの子ではではなかったが、「もしかして被災地のボランティアに行ってきたの??」と思わず声をかけた。朝からルームメイトとは別の友達とレンタカーでボランティアに出かけ、土砂の撤去作業をしていたと言う。悲惨な状況だったと。月曜に帰るけど、明日もできればまたボランティアに行きたいと。 果たして、自分だったら旅行先でわざわざ車を借りて、ボランティアに出かけるなんてことができるだろうか……?「シャワーに先に入っちゃって本当にごめんなさい」と謝った。本当に頭の下がる思いだった。 *今回のバレンシアの災害も一過性ではなく、長い支援が必要です* 〈学校より提供された支援募金先: Cruz Roja / CÁRITAS 〉 〈 スペイン公共テレビ「rtve」よりその他複数の支援先 〉
渡邊安莉香