発達障害児を苦しめる「心の教育」 寛容な社会ほど権利意識は強い
主体性をそのまま伸ばし、多様性を認めれば、必然的に対立が生まれます。 例えば、床でゴロゴロしている生徒がいれば、「あの子をどうにかして」と、ほかの生徒が言いつけにきます。変わった子を排除しようとしたり、お互いに傷つけ合ったり、「邪魔なんだよ!」と叫ぶ子がそこらじゅうにいます。 最初のお話に戻りますね。誰かのことを嫌いになるのは仕方ないし、喧嘩になるのも仕方ない。けれど、自分としては、どうしたいのか。「喧嘩した状態のままで、あなたはいいのですか?」と、子どもに自分の意思を問うのが、工藤先生のやり方でした。 工藤:加えて、床に寝ている子に「ゴロゴロするのは自由だが、ほかの子の学ぶ権利を侵害してはダメだ」ということを教えます。言いつけにくる子には「そのことで、君の学ぶ権利は侵害されたのか」を問います。 「勉強しない自由」はあるが、「勉強したい人の自由を妨げる自由」はない、ということです。「学ばない教室」は、こういったときに活躍します。この部屋があることで、それぞれの学ばない自由と学ぶ自由が守られるのです。 学び方も自由ですから、スマホを使う子もいれば、タブレットを使う子もいます。中には、紛れてゲームをする子も出てきます。最初のうちは「◯◯君がゲームをしているんですけど」と告げ口に来る子がいます。しかし、あっという間にそういう子はいなくなります。なぜなら周りの子がゲームをしていても「自分の学びには関係ない」ということがわかるからです。自分の学ぶ権利に悪影響がないから、放っておくようになるのです。そのうちに邪魔だとも思わなくなるようです。寛容性もどんどん高まっていきます。 ●権利意識が強いほうが、寛容になれる 発達障害の子の場合、勉強に集中するのが難しかったり、自分の好きなことだけに没頭したりして、怒られることがよくあります。 工藤:それらを心の問題として扱っていたら、「不真面目な子」として、教室から排除されてしまうでしょう。そのような子を邪魔だと感じ、告げ口をする子も減らないはずです。心ではなく、権利の問題として捉えれば、寛容になれます。 多様性を受け入れることができないのは、権利意識の持ち方に問題があるのかもしれません。「このことで、自分の権利は侵害されるか」を問う習慣があれば、多くのことを受け入れられます。例えば、自分は夫婦同姓にしたいとしても、周囲に夫婦別姓の人がいることで、自分の利益は損なわれないはずです。 日本は民主主義国家ということになっています。民主主義は、個人の自由を尊重する考え方ですが、他人の権利を損ねることは許しません。「他人の権利を損ねる自由は許されない」ということであり、「自分の権利が損なわれないのであれば、他人の自由を認める」ということでもあります。 ある意味、権利意識を強く持ったほうが、寛容になれるのかもしれません。そして、複数の権利が対立したときは、心で解決を図るのでなく、頭で考えて解決する、ということでしたね。 工藤:ここで間違えてはならないのは、多数決は民主主義ではないということです。