発達障害児を苦しめる「心の教育」 寛容な社会ほど権利意識は強い
工藤:子どもたちが学校で言い争いをしているとき、僕は間に入って警察署や裁判所になることはしません。代わりに、子どもたちに「どうしたいのか?」を問いかけます。 「あの子のことが嫌いなんでしょ。それは、いいよ。しょうがないじゃん」 「でもさ、今のこの状態がずっと続いていくのがいいの?」 そんなことを尋ねていくと、やっぱり、子どもたちは「嫌だ」といいます。対立している双方が「嫌だ」といいます。争いがあって、いつ殴り合いが起こるかわからない。そういう状態が続くのは、誰にとっても苦痛です。そこで、こう話しかけます。 「じゃあ、それについては2人とも一緒だね。今の状態が続くのは嫌だっていう、そこは合意できているわけだから、それを実現するための手段だけ、一緒に考えればいいんじゃない?」 「じゃあ喧嘩(けんか)をやめるために、どんな手段があるかお互いに考えてみてよ」 その後、解決のアイデアについて多少のヒントを出すというのが、僕のやり方です。 そういうやり方が、先ほどおっしゃっていた「当事者意識」につながるのですか。 工藤:このやり方では、問題解決の当事者は子どもたちです。それぞれが当事者として「自分がどうしたいか」を考え、自分としては「喧嘩をやめたい」から、そのための手段を考えるわけです。ここにあるのは、対立の解消に向けた、当事者同士の対話です。 自分の意思で対話を始めることで、当事者意識が育つのですね。 ●どうして、親のせいにするのか? 工藤:子どもの主体性と当事者意識を育てる。これが教育の二大目標であると私は考えます。それはつまり、子どもたちが自分の意思で学び、将来、自分の力で学べるようになる、あるいは自分の力で生きていける人間になることです。 知識やスキルの獲得は、これら二大目標の下位目標です。決して教育の一番の目標ではないのです。知識とスキルを上位目標に置いてしまうと、「与える教育」になりがちです。実際、多くの学校が与える教育をしています。 与えられることが当たり前になると、子どもたちはなんでも人のせいにするようになります。勉強がわからないから、「もっとわかりやすく教えて」というわけです。自分の学びがうまくいかなくなったときに、親のせいにする子もいます。 与えられることに慣れてしまうと、主体性や当事者意識はどんどん失われていきます。そんな意欲を失った子どもたちに対し、親や教師はさらに手をかけ、より与えるようになる。そういう悪循環に陥っているご家庭や学校が多いように感じます。 主体的で当事者意識を持った子どもは、自ら学び始めます。大人が必死になって与える必要などないのです。 ●1600人いたら1600通りのカリキュラム 主体性と当事者意識を教育の二大目標とする工藤先生が、横浜創英中学・高等学校で進めたカリキュラム改革について、教えてください。 工藤:「何を学ぶか」と「どう学ぶか」を、生徒自身が選びます。必修科目は最低限とし、カリキュラムの大半は自由選択科目です。ですから、全校生徒が1600人いれば、1600通りの時間割ができることになります。 得意なことと不得意なことの差が大きい発達障害の子どもたちにも、合わせやすそうです。 例えば、中学の英語の授業は、学年の垣根を取り払って、次の4つの教室から、生徒が好きな部屋を選んで、学びにいきます。