人口減退期は“終着駅”ではない…今回の減少で日本はどんな新文明に移るのか
パラダイムシフト
過去の日本列島の人口変動を見ると、人口減退期は文明システムの成熟期であり、量的拡大が止まった時代であった。しかしそれは行き詰まりの終着駅ではなかった。一見すると停滞的な社会の内部で、次世代の文明システムへのパラダイムシフトが始まる時代であったことを知る必要がある。新しい技術、新しい価値の造像に基づく、新しいライフスタイルが導入され始めたのが、成熟社会だった。 縄文時代の生業は狩猟、採集、漁撈であるが、実はかなり早い時期から植物の管理や栽培が行われていた。小豆、荏胡麻(えごま)、瓜、瓢箪、牛蒡(ごぼう)の栽培植物は縄文時代早期から存在した。人口が減少する後期になると各地で稲、大麦、稗(ひえ)、粟、蕎麦が焼畑農耕によって栽培されるようになった。このような縄文農耕の経験は、水稲農耕の受容に役立ったことだろう。 室町時代から江戸時代にかけて起きた経済社会化も、鎌倉時代における荘園市場と荘園年貢の銭納化の拡大がその源流であった。市場取引、貨幣の使用が広がると、人々は経済合理的な価値判断に基づいて行動するようになったのである。 人口が停滞する江戸時代中期には、プロト工業化が始まり、それが幕末以後の本格的な工業化への土壌を提供したことは前回、述べた通りである。徳川幕府が享保、寛政、天保の、いわゆる三大改革を実施したのも、農業を重視し、土地に価値の基準を置いた幕藩体制の中で、それを崩しかねない工業、商業、サービス業、流通業が拡散、浸透するのを抑え込もうとしたためである。 このような観点に立つならば、21世紀は新しい文明の孵卵器となる時代になるはずなのだ。それでは、それはどのような文明システムへのパラダイムシフトが起きる可能性があるのだろうか。
新しい豊かさと持続可能な開発
地球という有限の宇宙船で、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を彷彿とさせるような状況が続いている。細い糸を先に登っていく先進国。そのあとを我も我もと必死によじ登ってくるのは途上国だ。その重みで、か細い糸は切れてしまうのだろうか。 近代経済成長は、この先、長期にわたって望むことができないという認識が広く受け持たれるようになっている。しかし世界には、まだ十分に豊かさを享受できていない人々のいることも事実である。そこで生み出されたのが「持続可能な開発」(Sustainable Development)の概念である。資源と環境を我々の子孫たちの欲求を満たすことができるように保存しつつ、現代の世代の欲求を満足させるような開発を進めようというものだ。 豊かさを実現しつつ、資源と環境を維持しながら次世代に受け渡していくのは困難な課題である。それを実現させるためには、豊かさに関する新しい価値観が必要とされる。フランスでは前大統領サルコジのもとで、2008年にスティグリッツ=フィトゥシ委員会が設置されて、生活の質を測るための新しい指標が提案された。 経済協力開発機構(OECD)もGDPなどの経済指標に加えて、11の側面からなるBetter Life Indexを、国ごとに算出している。そこに含まれるのは、所得、住宅などの金銭的、あるいは物質的な豊かさだけではない。仕事、ワーク・ライフバランス、地域コミュニティー、市民参加、教育、健康、環境、生活満足度、安全と、全部で11の指標から構成されている。日本でも内閣府や幾つかの自治体で幸福度指数が提案されているが、いずれもまだ確定されたものではなく、試みの段階である。 日本では、GDP600兆円達成を目的に、IoT、ビッグ・データ、AI、ロッボットを活用した「第4次産業革命」を中心とした「日本再興戦略2016」が掲げられている。技術革新による生産性の向上や健康長寿の実現は、それ自体悪いものではない。しかしそのような技術革新を通して、人の一生や社会のあり方はどのようになるのだろうか。「新しい豊かさ」が、どのようなかたちで実現されるかも自明ではない。世界最高水準の長寿社会が実現した日本でこそ、一生の過ごし方や高齢者を支える革新的なしくみを創造する必要がある。