なぜ朝ドラは「叩かれやすい」のか…『おむすび』松平健は”もう少し楽しく魅力的なホラ吹きであってほしい”と願うワケ
嘘くさくて残念なホラ
朝ドラ『おむすび』は、朝ドラらしいドラマで、私は好きである。 ずっと気になっているのが祖父(松平健)のホラである。 【一覧】テレビ局「本当は使いたくないタレント」…ワースト1位は意外な大御所…! 昭和らしいホラが吹かれている。 ホラ吹きは太古の昔からいるわけで、時代とは関係ないけど、扱うネタが絶妙に昭和風景なのだ。 じっちゃんが吹いた昭和のホラは以下のものである。 こういうことを自分がやったと主張している(年はこちらで補足した)。 昭和37年、王貞治に一本足打法を教えた 昭和40年代に、引田天功マジックのアシスタントをしていた 昭和47年、あさま山荘の鉄球のついたクレーンを用意した 昭和49年、引退試合に遅刻しそうになったナガシマさんを後楽園までトラックで運んだ 昭和50年公開の『トラック野郎』のモデルであった 昭和51年、猪木に寝転がってアリと戦えと教えた とりあえず印象に残ったホラを並べるとこうなる。 絶妙に昭和らしいイベントが並んでいる。 私は、王貞治が二本足から一本足に代えた瞬間だけは見ていないが、それ以外は見ている。引田天功といえばふつうに初代をおもいだす世代である。 これらをリアルに見ていた世代から言えば、このセレクトがすでに嘘くさい。 すべて現場で見ていた、というだけで十分に嘘つきなのに、それにすべて関わっていたというのは嘘のレベルが違う。 つまり、あまりいいホラとは言えない。 ホラ吹きとしての永吉さん(松平健)のキャラ設定よりも、「昭和らしい出来事」を並べたらおもしろいのじゃないかという意図が先に見えてしまって、いろいろ残念である。 永吉さんのホラは、がんばって嘘をついているように見えて、そうなるとかなりダメである。 ホラを吹く人はもうちょっと魅力的に見えたほうがいいのに、そこは『おむすび』では第一とされていないようだ。
ホラ吹きの本質
嘘つく人は、ふつうがんばらずに嘘をつく。 まあそりゃそうだ。 私は、自分では嘘なぞつかない人間だとおもって生きていたが、最近になってよく嘘つきだといわれることに気がついたので、人によってはずっとそうおもわれてきたらしい。意外であった。 先日、息をするように嘘をつく、と私が喋ってる最中に隣で解説者のように若者に言われたが、そのときは別の子におもしろい話を一生懸命しているときで、おもしろい話をしているときはそれはそういう時間帯なので本当のことだけを言っているわけではなくて、おもしろい話をしているだけで、その喋りの目的は相手を笑わせること、ないしは楽しい気分にさせることでしかないのに、嘘つきと指摘されるのは不本意だなあ、とおもったことを覚えている(その瞬間は前にいる相手を楽しませる=騙すことにかかりきりだったので、その脇解説にはつっこめなかった)。 驚かせるには、相手がおもいもよらないことを言って別のところへ引っ張っていかなければいけないわけで、「おもいもよらないこと」をその場でおもいついて、言っているばかりだ。 用意して言っているわけではない。 おそらく、『おむすび』の永吉さん(松平健)のホラは用意して言っているように見えるから、ほんもののホラ吹きには見えないのだとおもう。 その瞬間におもいついたことを言わないと冗談にはならないわけで、言った瞬間に自分でもおもしろくないと楽しいホラとはならない。 事前に用意したホラは受けない。流れでおもいつくホラが説得力がある。 常に自分でもびっくりするような予想外のことを自分が言うからおもしろいわけであって、ホラ吹きの本質はそこにあって欲しい。 つまり、楽しませるのを目的としたホラを常に吹き続けるべきであって、自分を大きく見せるホラはどんどん受けなくなっていくということだ。