なぜ朝ドラは「叩かれやすい」のか…『おむすび』松平健は”もう少し楽しく魅力的なホラ吹きであってほしい”と願うワケ
嘘を並べ立てて楽しませるもの
先だって演芸の会を見に行ったおり(落語ではなく講談メインの会)、そこで先輩芸人のうちとんでもない嘘つきがときどきいる、という話を聞いた。 まあ、これもひとつの型であって、たとえば、立川談志もよく先輩や仲間のうちのホラ吹きの話をしていた。20年前に聞いていた50年前の話である。 2024年でも同じことが繰り返されている。 今年聞いたのは10年ほど前になくなった先輩落語家の話で、ずっと嘘ばっかり言っていたというエピソードである。 昭和の演芸界(寄席)には伝説となった出来事がいろいろあって、その落語家は、これは『おむすび』永吉さんと同じく、おれはそこにいたんだよな、と繰り返し言っていたらしい。 ある有名な落語家の最後の一席を見ていたと言ったり、大御所が寄席の楽屋で当時売り出し中だった落語家に席を空けさせたところにいたと言ったり、まあ、こういう人がいると、当時の風景がありありと眼前に現れるようで、聞いていて楽しいのだが、よくよく考えると年が合わないのではないか、とおもいいたってしまう。 嘘かよとなってしまうのだが、でも嘘つきの弁解をすると、自分もいたといっているのは、劇的なシーンをリアルに感じてもらうためのサービスであり、自分を大きく見せるのが目的ではないというところだ。そこが大事なのだ。 いやもちろん、え、あそこにいたんですかあ、すごいですねえ、と言われてそれも悪い気はしないのだがそれは余禄であって、あくまで話をおもしろく聞いてもらうためのサービスでしかないんである。そこをわかってほしい。といくら嘘つきが弁明しても信用してもらえないことはわかるのだが、でもそういうことなのだ。 そして落語や講談、それにコントや漫才も、演芸とはそういうものである。 本当のことにおもえるような嘘を並べ立てて、聞いている人を楽しませる。 小説も同じだ。 嘘を並べ立てて楽しませているのだ。そういう人たちが日常でもついつい嘘をついてしまうのはしかたがないところだとおもう。おもってほしい。 ただ楽屋でめちゃおもしろい芸人は、高座では楽屋ほど受けない、ということも聞いたことがある。まあ、そういう傾向はあるかもしれない。