なぜ朝ドラは「叩かれやすい」のか…『おむすび』松平健は”もう少し楽しく魅力的なホラ吹きであってほしい”と願うワケ
朝ドラを見るのに必要なのは「我慢」
『おむすび』ではホラを吹いている永吉さんはまったく魅力的ではなく、また舞台で奇術を失敗していた永吉さんもあまりおもしろいわけではなく、でも回想シーンでかっこよかった。震災直後の神戸にあらわれ、福岡(糸島)に帰ろうというシーンがめっちゃかっこよかった。ここがじっちゃんの本性だと見せたかったのだろう。 『おむすび』は前ふりがあまりうまくない。 ギャルの生態は印象が悪いという前ふりがあって、でも本当はいい人たちだという回収がある。 永吉さんも、めちゃ適当そうな人物という前ふりがあって、でも芯はしっかりしているという回収がある。 構造として間違っていない。 でも、前ふりのときのマイナスイメージが、あとでプラスに回収するためだろうけど、地に足が着いてない感じで描かれる。 私は、まあ、長年の付き合いだから(朝ドラとの付き合いは長い)こんなもんだろうと黙って見ているが、そのお約束を待ってくれな人の声が大きく反響してしまう。 このタイプの人たちは昭和の昔から絶対いたはずだけど、そのころは家の中でぶつぶつ言ってる程度で世間まで反響していなかったばかりで、いまは簡単に響くようになってしまっている。それを想定していないと朝ドラは毎日やってるぶん、とくに叩かれやすくなっている、ということだろう。 朝ドラを見るには、やはりある程度は我慢だよ。 と書いていて、そりゃ無理だろうな、とおもう。 たしかにいまどきエンタメ見るのに我慢はしてくれない。 なかなかむずかしい。 少なくともホラ吹きは、もう少し楽しく魅力的なホラ吹きであって欲しいなと、永吉さんを見ていてそうおもっている。
堀井 憲一郎(コラムニスト)