「家電で楽をするのは贅沢」 松下幸之助が“需要の少ない農村部”に販路を広げた理由
家電で楽をするのは贅沢? 価値観に立ち向かった松下電器
幸之助が民需の可能性を見通した背景には、自身の強い使命感がある。戦前から社員に向けて、「松下電器の使命は、日本から貧をなくし、国民生活を物心両面から豊かにすることだ」と繰り返し訴えていた。そしてその使命の実現のためには、人々の「無言の要望」、すなわち需要を察知して創出することが大切だと説いたのである。 その良い事例が、1950年代から60年代にかけての家電製品の普及に向けた努力だ。 家電製品は当初、比較的所得水準の高い都市部を中心に普及した。この点は、日本に限らず、他国でも見られる現象だろう。一方、農村への普及が進まなかったのは、日本特有の事情もあった。所得の低さや電力インフラの不備だけではなく、「価値観」が阻害要因となったのである。この「価値観」に立ち向かったのが松下電器だ。 当時の農村の女性は働き詰めの日々を送っていた。家電製品があれば、家事労働が大幅に軽減されるはず。しかし、それこそが問題だった。嫁が高価な家電製品によって楽をするのは贅沢だという見方が、姑などに根強かったという。 そういう事情であれば、販売戦略を都市部に重点化するのが合理的だろう。けれども、松下電器の使命は全国民の豊かな生活を実現することだ。都市部で稼げばよいことにはならない。そこで販売網を全国隅々まで広げたのはよく知られているが、それだけでなく積極的に農村への啓蒙活動を展開したのである。1957年に始めた、社員が車で全国をまわる「走る電化教室」だ。 ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、かつてこの活動に従事した社員の証言を紹介している。 「田舎へ行くと、洗たく機でいもは洗えるかとか、メリケン粉をこねてトースターに入れるとパンになるのかといった質問が出る時代でしたからね。午後一時頃から教室を開いて、終わるのは夕方、それから撤去作業をして次の町の宿へというのですから、ドサまわりの旅芸人みたいだった」(『大いなる決断』講談社)。 社員たちは、自社商品を売り込む前に、これから家庭電化による生活革命が進むのだと訴えてまわった。その効果はじわじわと出てくる。販売戦略面では非効率であるようにみえて、「ナショナル」ブランドが全国に浸透する原動力となった。