テレビタレントは「職人意識」に向かう?
ラグビーワールドカップの終了後、テレビに引っ張りだこの選手たち。なかでも、「笑わない男」のキャッチフレーズで一躍人気者になったのが、スコットランド戦で代表初トライを決めたプロップの稲垣啓太選手です。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、この稲垣選手のことについて、友人から「笑わないことは今のテレビ界に対する痛烈な批判」との意見を聞いたといいます。そしてテレビ番組の性格を考え直す機会としたらどうかと提案します。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
「グランメゾン東京」の味
俳優には、どんな役でもこなせる巧い役者と、ハマり役のみに光る個性的な役者との、二種類がある。 高倉健や渥美清は後者の方だが、木村拓哉(キムタク)もそうかもしれない。それぞれ「不器用で忍耐する強い男」「迷惑なほどの人情家」「わがままなこだわりや」といった役どころ。もちろんキムタクが高倉や渥美のような境地に達するにはまだそうとうの努力を必要とするだろうが、今、「グランメゾン東京」という料理人ドラマで、いい味を出している。検事役もそうだったが、役柄にハマっているのだ。 そう考えると彼は「SMAP」というグループでのタレント業にはムリがあったように思える。「嵐」もグループ活動休止に向かうというが、メンバーはそれぞれの特性を生かして別々の道を歩むということだろう。さらにジャニー喜多川というカリスマを失って、一世を風靡したこの事務所も、曲がり角に来ているようだ。 テレビの世界に「アイドル(偶像)」より本職の「芸」に向かう、つまり職人意識を重視する機運が見えてきたような気もする。
ラグビー・フィーバーとテレビ
令和元年における大ニュースのひとつは、予想をはるかに超えるラグビー・フィーバーであった。結果、選手たちがテレビに引っ張りだこだ。彼らには、実力で闘ってきた男としての個性がにじみ出て、日ごろテレビに出ているタレントたちとは一味違う存在感がある。中でも地味なポジションながら世紀のトライを決めた稲垣敬太選手は「笑わない男」というキャッチフレーズで異色の人気を集めている。 しかしディレクターや司会者の中には、彼らの偉業に何ら敬意を払うことなく、単に笑いの対象にしようとする者もいるようだ。僕の友人は「笑わないことは今のテレビ界に対する痛烈な批判であるのに、誰もそれに気づいていない」と憤慨していた。一理ある。たしかに、ラグビーという激闘の団結と、今のテレビ番組のおチャラケた感覚とは対照的ではないか。人々はおチャラケよりも、真剣な激闘を支持したのではないか。 ラガーたちをテレビに出すことは悪いことではないし、偉業を成し遂げた魅力的な人間を広く紹介するのは報道機関としての責務でもある。ここはむしろ、降ってわいたようなラグビー・フィーバーを、これまでのテレビ番組の性格を考え直す絶好の機会とすべきである。