『プレミア音楽朗読劇 VOICARION XVIII~Mr.Prisoner~』上川隆也・林原めぐみ・山寺宏一・藤沢文翁 インタビュー
ロンドンでふれたもの、そして8年の間の世界の変化
――初演と再演を経て、演出で、演技で、ブラッシュアップしていきたいと考えていることがあったら教えていただけますか。 藤沢 舞台や演出のうえで「ブラッシュアップ」っていうと、普通は演出家が“これ” って決めたところにみんなで行こうとする感じになると思います。でも読み合わせをしてみると、そうじゃない。時間が経つとそれぞれの解釈も変わったりしているし、僕の想像力の範疇には収まらない人たちなので、「そういう芝居の仕方をすると、ここがこういう見え方になってくるんだ」って気づいて、「じゃあここもこうしてください」みたいな演出です。野生の花を生け花にするならこれは切っちゃいけないだろう、という難しい生け花みたいな感じで、みんなにもらったものにさらに何かを載せていく創り方ですね。 山寺 もちろん、回を重ねるごとにもっといい物語に、もっと皆さんに伝えられるようにっていう思いはあります。今、藤沢さんは「みんなにもらったもの」って言いましたけど、我々は脚本からもらったものに導かれるように演じているんですよ。あとは4年歳を重ねたので、人生経験を踏んだことがどう影響するのか。これは自分ではコントロールできないし、やってみないとわからない。ただ僕が思ったのは、これはディケンズの時代の物語ですけど、その後もいろいろな紛争や悲しいことがあって、教育も受けさせてもらえない、自由もない子どもたちがいる。さらにここ数年、ウクライナのことやいろいろなことがあって、それがよりリアルというか、そういう子どもたちの情報がいっぱい入ってくる。だからこそ、より台本に書かれていることの大切さを感じるし、気持ちも入る。伝えたいことがさらに多くなったし、それが少しでも皆さんに伝わればと思います。 林原 実は6月末から7月頭にかけて、再々演を前にしたこういう機会でもないと行かないなと思って、ひとりでロンドン塔を見に行って、オペラも観てまいりまして。物語当時のロンドンではないにしても、コヴェント・ガーデンとオペラ座に行って「ここなのか」と。もともと演じる時には、文字の向こう側にある世界に没入しながら、そこを生きている人として言葉を投じるものだと思っていますけど、これまでは想像だった世界がすごく肌感として感じられました。それが血肉になって、皆さんにお届けする何らかのエキスになっていればいいなって思っています。 上川 文翁さん、今回の再々演にあたって演出サイドから何か新しい試みを持ち込もうとか、効果や照明も含めてニュープランはないんですよね? 藤沢 ないです。 上川 ということは、初演から何ひとつ変わらない形でお届けするわけです。例えば将棋って古くからあるものですけど、ルールが整ってからは盤面、枡の数、駒の数やその配置、駒の動き、役割、何ひとつ変っていない。にも関わらず今でも日進月歩していて、藤井聡太さんのような方が現れると、これまで見たこともないような「そんな手があったのか」とみんなが驚くような局面が立ち現れる瞬間がある。この物語も、出演者、演出、音楽、初演から何ひとつ変わっていないにも関わらず、今日の読み合わせの中で、僕ひとりの心の中だけをとっても、ちょっとした変化から表現の違い、解釈の拡大や飛躍、深化が生まれてきている。この8年、物語と同時に演者も成長していて、初演と違うものをお届けできるベースがあるということは、自信を持って言えます。ただ「こうしますよ」とあらかじめお伝えできるものではないですし、お客様がどう受け取ってくださるかによっても変わってきます。少なくとも、初演の時に皆さまが目の当たりにした『Mr.Prisoner』とは同一にして違うものになっていることは間違いありません。陸上のランナーが自分より速い走者と走ると、思った以上に良いタイムが出ることがあると聞いた事があります。僕は初演からずっとお二人の背中を見ながら走ることができた。お陰で声で文章、事物を伝えるということへの意識が大きく変わりましたし、セリフとの向き合い方もガラリと変わりました。今回もまた新たな『Mr.Prisoner』を2024年の夏にお届けできたらと思っています。 藤沢 なんでそんなに例え話が上手いんですか? 林原 わかりやすい。 山寺 素晴らしい! 林原さんがロンドンに行ったっていうのも、びっくりした。 藤沢 上川さんもディケンズの家に行ってましたよね。 上川 『Q』(2022年)のロンドン公演の際、少し余暇があったので、ロンドン塔と今はミュージアムになっているディケンズの生家を見学してきました。なので、僕の中のビジョンもちょっとアップしてるかもしれません(笑)。