「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
<松本人志が代理人を通じて「会見拒否」の態度を表明した。訴訟取り下げによって性加害への疑念と今回の対応への疑問はかえって深まっており、このままテレビ復帰はあり得ない。大阪万博をはじめとする「公共事業」を数多く請け負っている吉本興業にも説明責任がある>
松本人志は11月15日、性加害疑惑について記者会見しない旨を代理人弁護士を通じて発表した。理由については、こう書かれている。 朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】 「すでに公表済みのコメント以外の情報発信を行うことは、関係者との協議及びその結果の趣旨・内容に鑑み控えざるを得ません」 何度読んでも、意味が分からない。「関係者」というのは、誰を指しているのだろうか。週刊文春だろうか。だとすると、文春側が「これ以上は情報発信しないで欲しい」と依頼したのだろうか。いや、まさかそんなはずはなかろう。わざとらしく法律用語を散りばめているが、要するに「会見はしません。理由は、したくないからです」と言いたいのだろう。 ■「虚勢と威迫と逃亡」だけ 横山やすしはダウンタウンの漫才を「チンピラの立ち話」とかつて酷評したが、これまでの流れを振り返ると、松本人志の言動はまさしく「チンピラ」的だった。 SNSで虚勢を張ったあとはスラップ訴訟とも言うべき巨額の賠償請求を行い、さらには探偵を雇って法廷の外で女性を威迫し、最後は敵前逃亡して長年のファンをも裏切った。虚勢と威迫と逃亡。性加害疑惑が報じられて以降、松本人志が行ったのはこれだけである。 訴訟取り下げにともない、被害を訴えている女性たちに対する謝罪らしき文面を代理人が発表したが、あれを謝罪と言えるのかどうかは、意見が分かれるだろう。「私がやったかどうかは分かりません。被害者がいるのかどうかも分かりません。でも謝ります」という二律背反的な不可解なメッセージを、謝罪の言葉と見なすことは困難である。 ネット上では「事前に文春側と文面をすり合わせ、双方合意の上で発表したはずだ」という憶測も流れているが、私はその可能性は低いと見ている。なぜなら、双方がコメントを発表した直後、被害を訴えていた女性は朝日新聞の取材に対し「私は仮定ではなく、実在するので深く傷ついた」と語っており、松本人志のコメントへの不満を吐露しているからだ。 週刊文春にとって、記事の真実相当性を担保する存在である女性たちは、命綱に等しい。それを念頭に置いて考えれば、「直接に示す物的証拠はない」だの「いらっしゃったのであれば」だの、こんな自己弁護にまみれたコメントを文春側が事前に了承していたとは、考えにくい。 ネット上には、双方のコメントをめぐって論理の飛躍した陰謀論的な言説も流れている。週刊文春は事前に相手のコメントを確認し了承していたのかどうか、文春側からも説明して欲しいと思う。 ■吉本興業にも「説明責任」がある 一部では「松本人志復帰論」も出ているが、地上波のテレビ出演など夢のまた夢だろう。松本人志が出演する番組のスポンサー企業は、「お金を払って自社のブランドイメージを下げる」という愚かしい結果を選択することとなる。そういう企業はあるだろうか。 私は「松本人志の性加害疑惑」について、週刊文春の第一報が出た直後は五分五分に近いグレーと見ていた。だが、その後の対応を見てだんだんクロの濃度が強まり、訴訟取り下げに至った現在は「真っ黒に近いグレー」と見ざるを得なくなった。 なぜなら、松本人志が一切の説明を拒んでいるからだ。「直接的な物的証拠」がなかったとしても、多くの証言や間接的な物証により、記事内容には「真実相当性があった」と捉えるのが妥当だろう。 今後は、吉本興業と万博協会(日本国際博覧会協会)の動きにも注目したい。吉本興業は性加害疑惑が報道された直後には 「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」 と極めて強硬な姿勢を見せていたが、わずか1カ月後の24年1月になると 「当社としては、真摯に対応すべき問題であると認識しております」「外部弁護士を交えて当事者を含む関係者に聞き取り調査を行い、事実確認を進めているところです」 と急激に態度を軟化させた。言い換えれば「まともな会社」に変わっていこうとする姿勢を見せた。 こうなると、最初に「当該事実は一切ない」と断言していたのは、いったい何だったのかと思ってしまう。「『当該事実は一切ない』という発表は誤りだった」と訂正しなくて良いのだろうか。また、「事実確認を進めている」のであれば、その結果はいつ、どのように聞けるのだろうか。すでに10カ月という時間が経過している。 ■「大阪万博の顔」でいいのか? 吉本興業は大阪万博で「よしもと waraii myraii(ワライミライ)館」を出展することが決まっており、ダウンタウンの二人はアンバサダーに就任している。すなわち、わが国の国家事業の一端を担う立場にある。アンバサダーは、“大阪万博の顔”として万博の魅力を伝える役割があるという。 そんな公共性の高い事業を、今の吉本興業や松本人志に任せて良いのだろうか。 近いうちに、吉本興業は松本人志を「切り捨てる」必要に迫られるだろう。体面を保つため、きっと「独立」というフレーズを強調するに違いない。濃厚な性加害疑惑を抱えたまま、すべての説明から逃げ続けている人間を自社の看板として掲げ続けることは、吉本興業にとってリスクでしかない。 松本人志を今なお「大阪万博の顔」として起用していることについて、万博協会や吉村洋文大阪府知事は、どう考えているのだろう。本当にふさわしいと今でも思っているのだろうか。 ■松本人志は「嫌知らず」ではないか ところで、しばらく前にX上で「嫌知らず」という言葉が注目を集め、話題となった。相手が本気で嫌がっていることを理解できず、「嫌じゃないでしょ」「まあいいじゃん」「俺は大丈夫」などと自分本位に捉え、相手の嫌がることをゴリ押ししてしまう人や態度を指す。 松本人志は典型的な「嫌知らず」だったに違いない。そう考えると、色々と辻褄が合う。密室で性行為を迫った際、松本人志は「相手は嫌がっていない」と信じ込み、「まあいいじゃん」「俺は大丈夫」と思い込んでいたのだろう(今でもそうかもしれない)。だからこそ、今なお真摯な謝罪や説明ができず、表舞台からついに姿を消そうとしている。 「笑いの天才」と讃えられ、一つの時代を築いた人間の晩節としては、あまりに哀しい末路である。とはいえ「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」とチャップリンは言っている。なるほど、そうかもしれない。松本人志は今、確かに喜劇を演じている。
西谷 格(にしたに・ただす、ライター)