東京駅「丸ノ内駅舎」を設計した「辰野金吾」稀代のデザイン力 都市の“シンボル”を生み出した才能の源泉とは
明治時代の申し子である辰野金吾
辰野の建築は、赤レンガの壁面に花崗岩で白い帯を巻いてアクセントとするのが特徴である。これはイギリスなどで流行したクイーン・アン様式のアレンジであり、辰野が盛んに用いたので「辰野式」とも呼ばれる。本家本元と決定的に違う点といえば、屋根の装飾性の高さであろう。辰野はとにかくドームやら塔やらを載せまくるのだ。 福岡県福岡市にある「旧日本生命九州支店」は辰野の設計だが、これほど屋根の装飾が充実し、凹凸が激しい建築も他にないだろう。一目見てわかるように“やりすぎ”なのである。ドームだけあれば十分ではないかと思うのだが、それで満足しないのが辰野なのだ。筆者は、辰野が生まれた佐賀県唐津市の伝統行事、唐津くんちの山車から影響されたのかもしれないなどと勝手に想像している。
辰野は唐津藩の下級武家の出身で、工部大学校に入学し、お雇い外国人ジョサイア・コンドルのもとで建築を学んだ。猛勉強の末、首席で卒業。イギリスに留学し、帰国後に工部大学校の教授に就任した。ところが、渋沢栄一の影響を受けていた辰野は、任期を残して教授職を辞し、民間に事務所を開いた。 それまでは「日本銀行本店本館」のように、いかにも政府の権威を誇示するような堅い建築が多かったが、事務所を開いてからは赤レンガを外装に使った華やかな建築が多くなる。また、アールヌーヴォーやらセセッションなどの流行も取り入れ、右から左にすべてを試したのではないかと思うほどデザインにまとまりがない。しかし、どんなスタイルを取り入れても目立つものを作れてしまうあたりに、辰野の凄みがあると言っていい。 辰野の建築は外観の派手さに比べて、内装は意外とあっさりしている。デザイン力が未熟だった影響もあるかもしれないが、都市を洋風建築で飾ることこそが自らの使命であると、考えていたためではないか。明治政府も建築家にそれを期待していたはずである。内装より外観を重視したのも、辰野がそうした要請に応えようとした結果といえる。