東京駅「丸ノ内駅舎」を設計した「辰野金吾」稀代のデザイン力 都市の“シンボル”を生み出した才能の源泉とは
東京駅丸ノ内駅舎は東京のシンボル
休日に東京駅に出かけてみたら、赤レンガの愛称で知られる丸ノ内駅舎前の広場は観光客でごった返していた。行幸通りにはウェディングフォトを撮影しようとする人々の姿もあった。1914(大正3)年に竣工した丸ノ内駅舎は、新1万円札の裏面にもデザインされているように、この時代の洋風建築では群を抜く知名度を誇っている。 【写真で味わう】東京駅だけじゃない、全国各地で今も圧倒的存在感を放ち続ける辰野金吾建築
ジュンク堂書店や紀伊國屋書店に足を運ぶと、丸ノ内駅舎を表紙にした本は非常に多く、駅舎のなかでも定番中の定番であることがわかる。今年6月7日に発売された筆者の建築ガイド本『TOKYO名建築案内』の表紙も、やはり丸ノ内駅舎である。旅行ガイド本から建築書まで、とにかく東京をテーマにした本となれば丸ノ内駅舎が表紙を飾るのだ。 東京駅が多くの建築案内書の表紙を飾る理由、それは、丸ノ内駅舎が東京の玄関口となる建築だから、というだけの理由ではないだろう。筆者は、日本近代建築の父と称される建築家・辰野金吾のデザインの力が大きいと思う。というのも、辰野が設計を手がけた建築は、東京以外の地方都市でもランドマークになっているものが多いためだ。岩手県盛岡市では「岩手銀行旧本店本館」が、大阪府大阪市の中之島では「大阪市中央公会堂」が、武雄温泉などは竜宮城のような和風のデザインの「武雄温泉楼門」が地域のシンボルになっている。 日本で本格的な建築教育が始まったのは明治時代のことだが、現在に至るまで、辰野ほど地域のシンボルを数多く完成させた日本人建築家は珍しい。洋風を造らせても、和風を造らせても、シンボリックで目立つ建築を作るのが恐ろしいほど達者なのである。前出の建築はいずれも100年以上の年月を超えて地域のシンボルとして君臨しているのだから、その才能は稀代のものと言ってよい。
圧倒的すぎる唯一無二の存在感
一方で、建築関係者の中には、丸ノ内駅舎のデザインを酷評する人が少なくない。建築史家の藤森照信氏も語っているように、全体のまとまりが悪いとよく言われるし、装飾の面でも中途半端であり、同年代の建築と比べても稚拙に映る。にもかかわらず、東京の建築では圧倒的な知名度を誇るし、新1万円札の裏面にもデザインされることになってしまったのだ。 実は、筆者が本を出版するときにも、表紙の候補にした建築はいくつもあった。筆者は丸ノ内駅舎が表紙になると、類書と紛らわしくなるうえ、ワンパターンすぎると言って反対したことがあった。実際、東京には他にも優れた建築はたくさんあると思うのだが、デザイナーや編集者は圧倒的に丸ノ内駅舎を推すのである。 結局、編集者もデザイナーも「丸ノ内駅舎しかない」と推し、表紙に決定した経緯がある。そして、完成した表紙を見ると、たしかに丸ノ内駅舎は格調高いし、そのうえ重版もかかってしまったので、編集者の意見が正しかったと実感している。国宝になっている「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」のほうが、全体の完成度も、派手さも、豪華さも勝っているはずだが、辰野はインパクトの強い建築を造る能力が圧倒的に長けているのだ。 藤森氏は、丸ノ内駅舎を「横綱が土俵入りをしている姿だ」とたとえたことがある。東京駅前に立ってみると、その言葉の意味がわかる。周囲の高層ビルは高く、洗練されているにもかかわらず、まったくと言っていいほど存在感がない。言い得て妙であり、丸ノ内駅舎の周りに建つ高層ビルが、横綱の付き人のような存在になってしまっているのだ。