日本初「3時間耐火」を実現した木材の開発秘話ーー木村一義・シェルター会長
木造建築はかつて可燃性が最大の課題だった。それを解決したのが、木造建築会社シェルター(山形市)だ。日本で初めて3時間の火災に耐える燃えない木材「クールウッド」を開発し、高さ制限のない木造高層ビルの建築を可能にした。同社の木村一義会長が目指すのは、「木造化を通じた人間の幸せ」だ。(オルタナ副編集長=吉田広子、撮影=松田高明) 木村一義(きむら・かずよし) シェルター代表取締役会長。1949年、山形県生まれ。1972年、足利工業大学工学部建築学科卒業、カーネギーメロン大学大学院建築科留学。帰国後の1974年、シェルターホーム(現シェルター)を創立、代表取締役社長に就任。2020年から代表取締役会長。日本初の接合金物工法「KES(ケス)構法」を開発したほか、木質耐火部材「COOL WOOD(クールウッド)」を開発し、日本初2時間・3時間耐火の国土交通大臣認定を取得。
■独自の構法に大バッシング
――1974年の創業以来、「都市(まち)に森をつくる」をミッションに掲げ、国内外で木造建築を手掛けてきました。木造にこだわる理由について教えてください。 答えは単純で「人間だから」です。人間はもともと森のなかで暮らしてきました。人間も動物であり、自然の一部であることを忘れてはいけません。動物や子どもは、コンクリートや鉄を好むでしょうか。 近代社会は、あまりにも合理性や機能性、経済性を追求し過ぎました。世界の都市を空から撮影すると、東京なのか、パリなのか、ニューヨークなのか、分からないほどよく似ています。私は単純に、コンクリートジャングルのなかで生きる人間が、心身ともに健康でいられるのかが疑問なのです。 長い間、都市では木材は使えないと考えられてきました。しかし、私たちは、コンクリートや鉄しか選択肢がなかった状況を打破し、木造建築という新たな可能性を示しました。シェルターは、常識を覆すための挑戦を続けています。
――木造建築の接合金物工法「KES構法」を開発した1970年代当時、社内外からは反対の声が上がっていたそうですね。 大バッシングでした。当時、木造建築の弱点は接合部分でした。従来の在来軸組工法では、柱と梁(はり)などの部材を組み合わせるために、高度な職人技を必要としていました。加えて、接合させるために削るので、強度が弱くなりバラつきも出てしまいます。 その強度を上げるために独自に開発したのが、KES構法です。柱と梁などの接合部に独自開発した金物を使用します。このKES構法を広めるために、それまで主力だったツーバイフォー工法による注文住宅事業を止めるという大きな経営判断もしました。 建築は、職人の世界ですから、ある意味、職人の仕事を奪うようなことだったのです。要するに、パンドラの箱を開けてしまった。社員からは「これは建築ではない」と言われ、身近な人にも「一義は頭がおかしくなったから付き合うな」とさえ言われました。 しかし、KES構法によって、建物の構造強度を計算できるようになり、耐震性、耐久性、施工性が格段に向上しました。 KES構法の重要性を特に実感したのが、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災です。被災地では、KES構法で73棟の3階建て木造住宅を建てていました。発災から1週間後、現地を訪れ、がれきの中を歩いていくと、ポツンと建っている木造住宅が見えました。それがKES構法の木造住宅だったのです。それを見たとき、我が子が生き残ってくれたような強い安堵感がありました。 心から「建物は、命と財産を守るものでなければならない」と思いましたね。後から知ったことですが、73棟すべて無事でした。 ――命を守る丈夫な家づくりを目指されてきたのですね。 私は創業以来、「100年住宅」造りを進めてきました。日本の住宅は、いわゆる「耐久消費財(消耗品)」です。欧州や北米のような「固定資産」ではない。 先祖から家を受け継げば、住宅ローンに苦しむこともありません。ローンが終わったと思ったら、老朽化していて、解体して次の世代が建て替える。解体費も高額で、大量の粗大ゴミも発生する。だから家庭経済は豊かにならない。家庭経済が良くなければ、地域も国も豊かになりません。 本来は、そんなことがあってはいけないのです。そんな単純なことが、利益を追求してしまうと、分からなくなってしまいます。利益はあくまで「手段」。利益は必要ですが、目的にしてはいけない。