人間椅子・和嶋慎治が怪奇と幻想に彩られた文芸路線を貫く理由 歌詞集『無情のスキャット』を刊行
デビューから35周年を迎える孤高のハード・ロック・バンド、人間椅子。それを記念し、ギター、ボーカルであり、中心的ソングライターの和嶋慎治が、歌詞集を刊行した。怪奇と幻想に彩られた独自の世界は、この35年でどのように変化してきたのだろうか。(円堂都司昭/12月4日取材・構成) ――『無情のスキャット 人間椅子・和嶋慎治自選詩集』(百年舎)には、煩悩の数とされる108の作品が収録されています。 和嶋:編集者から本には100数編が入りますといわれて、結果的に108になりました。自分には未発表の歌詞もあるんですが、音源として発表したものから選ぶことにして、時系列順に並べました。初期に顕著ですが、差別用語などの規制が厳しくて言葉を変えたり伏せ字にしていた部分は、本でオリジナルに戻しています。 ――すべての歌詞が見開き2頁で読めるように、レイアウトが工夫されていますね。 和嶋:デザイナーさんとしては、自由に文字を組んでアーティスティックに見せたかったらしいんですけど、歌詞だから1番、2番が終わると中間部などがあるわけです。自分はそのへんをカチッとさせないと気持ち悪いので、曲の区切りのいいところで段落を変えてもらうとか、妥協していただきました。 ――時代順の章ごとに自作の解説やその頃のバンドの状況を書いたエッセイが挿入されていて、人間椅子というバンドの歩みがよくわかります。 和嶋:ただ歌詞を集めた状態では、CDを持っている人は購買意欲をそそられないのではと思いまして。プラスアルファの要素が欲しくて解説をつけましたが、自分をふり返る機会ができてよかったです。 ――収録した詩はどういう観点から選んだのですか。 和嶋:ベスト盤では当然、曲優先ですけど、これが人間椅子らしい詩だとか、曲があまりよくなくても詩としていいものもあるわけです。それらは入れていきました。 ――歌い続けている曲もあるにせよ、初期の詩とあらためて向きあっていかがでしたか。 和嶋:自分の気に入っているワードとか、センスはずっと同じですね。「憂鬱」や「孤独」などは、常に使っていますね。 ――「夜」もそうですね。 和嶋:はい。あと、テンポよくするために古い言葉を脈絡なく使う時がけっこうありますね。例えば、「どっとはらい」の「滴る血潮高砂や」なんてフレーズは全然意味はないけど、なにかをイメージさせるうえで語呂のいい日本語を選ぶのは初期からやっています。 ――音楽制作では、やはり曲が先なわけですよね。 和嶋:基本的にはそうですが、一時期からコンセプトを最初に立てて、サビやパートごとの曲と歌詞が同時進行でできていく形になりました。なぜかというと、最初にイメージがないと、できたメロディにそれっぽい詩をつけるにしても、時としてやっつけ仕事になってしまいがちだからです。大事なのは曲を通じてなにをいいたいかだとある時に気づきました。コンセプトを先に決めると、詩で苦しまない。もう10年以上、そういう風に作っています。 ――人間椅子では和嶋さんが多くの歌詞と曲を手掛けていますが、ベースの鈴木研一さんも曲を書き、ボーカルを分けあっていて、和嶋さんの詩を鈴木さんが歌うことも珍しくない。分担はどう決めているんですか。 和嶋:作曲が半々くらいになればいいなというのは、互いにあるんですよ。スタイルが違うのでお客さんが求めるものはどちらか一方ではないかもしれないし、バンドとしてそのバランスがないとダメでしょう。詩に関しては僕が書きたいというのもあって、けっこう鈴木君の曲にも僕が詩をつけています。そのうえで、鈴木君自身がアルバム中1、2曲歌詞を書く感じ。なんにしろメロディを作った人が歌うのが自然だと思っています。その人のなかから出てきたものだから。 ――1曲でボーカルを分けあう時は、それぞれがメロディを作っているんですか。 和嶋:いや、Aメロとかサビとかメインで歌っている人が、基本的にその曲つまりメロディを作った人ですね。出せない音域があったりとか、曲にフックを持たせたい時に、歌う人が替わったりします。 ――バンド名が江戸川乱歩の小説から名づけられただけでなく、文芸作品をモチーフにした曲が多いですが、年月を経て文芸作品との距離のとり方は変わってきましたか。 和嶋:最初はだいぶ、詩の内容をもとの作品に寄せていました。詩集に収録されていませんが、「悪魔の手毬唄」(横溝正史)は要約みたいだった。そこから、タイトルや作品の世界を借りても、自分がいいたいこと、自分の世界観を入れていくようになりました。だったら最初からオリジナルの詩を書けよって話ですけど、ある文学作品のタイトルを借りると、そこで1つの世界観ができあがるのが面白い。 ――文芸作品を題材にする際、どんなプロセスで詩を書くんですか。 和嶋:題名だけ借りて、あまり読まずにオリジナルで書く場合もあります。コンセプトを決め、インスピレーションを得たらノートに言葉の断片を書きつける。その段階ですでに詩みたいなものもあったりして、それをくっつけたり膨らませたりします。啓示みたいなものが降りてこないまま書いた詩はよくない。本に入れなかった「夜明け前」では、新しい時代がくるといいたかったんですけど、普通の言葉を並べすぎて読み応えが低いものになってしまった。今回収録した「恐怖の大王」と、ある種テーマは同じなんですよ。この曲は、大本教の大本神諭とか日月神示とかをもとにイメージを膨らませて書いたので、ワードのインパクトも強くて成立したんです。言葉の選択がうまくいっているのがいい詩でしょう。例えば、正しいことをして生きましょうということをその通りにいうと、ただの教えになっちゃうから、いろんな比喩を使う。レトリックを上手く使うのが表現、芸術だと思います。 ――ライブで歌った時にどう響くかまで考えて書くんですか。 和嶋:頭のなかで音読しながら歌詞を書いて、ブツブツつぶやきながら書き直します。言葉が言霊だとすれば、音読には響きのパワーがあるわけです。 ――創作スタイルを確立するうえで刺激を受けたバンドは。 和嶋:洋楽のロックです。古いグループだと、マウンテンがボードレールの詩集『悪の華』をタイトルにアルバムを作ったり、アイアン・メイデンがポーの『モルグ街の殺人』を曲名に使っています。ヘヴィメタルやハードロックはそういうことをやるんですよ。「今日も俺は仕事で疲れて貧乏生活だ」みたいなことは歌わない。誰々さんに恋をしたけどうまくいかないとかハッピーだとかいう日常より、神と悪魔の対峙のような非日常を歌う。BABYMETALはイジメなどをテーマにして新しいと思いましたけど、ヘヴィメタルは非日常がしっくりくる音楽なんです。 でも、非日常の世界観を一から作るのは難しい。西欧のロックは根底にキリスト教があるから、その世界観を借りていきなり悪魔がどうこう、神がどうこうと歌ってもOK。でも、日本人にそれは通用しないので文芸作品を使うのはいいやり方かなと思います。 ――歌詞以外の詩集は読まれていたんですか。 和嶋: 40歳前後の頃、いい詩を書くにはどうしたらいいか摸索して、古本屋で詩集を買ったりしていました。やっぱり高村光太郎はいい。宮沢賢治は天才。中原中也はあまり好みじゃないけど、みんなが好きなのはわかる。太宰治に近いのかな、人間の弱さが強く出ちゃってるから。高村光太郎はそのへんが突き抜けていて、悲しさを昇華しきってる感じがいい。そうしたなかで、中也がダダイズムといわれているので周辺を読んでいたら高橋新吉を発見して、深堀りしました。日本の詩人の作品は勉強になりましたね。海外ものは翻訳だからいま一つわからない。ポーの散文は面白いけど、彼の詩はわからないです。 ――人間椅子は初期から怪奇や幻想の猟奇的イメージ、文芸路線といった方向性で一貫していますが、路線変更を考えるとか、外部から方向性を変えるようにうながされることはなかったですか。 和嶋:『見知らぬ世界』でわりと普通のポップスみたいな曲をいっぱい作ったら「そういうのはやめてくれ」とレコード会社にいわれました(笑)。それはもう人間椅子のスタイルがある程度決まってからのことですけど。初期には「ギタリストやベーシストの兼任でなくボーカリストを入れた方がいい」とか、「気持ち悪い歌じゃなくて普通の曲をやった方がいい」とかいわれました。 でも、売れ線の曲を書いたら僕らはもっと売れなくなると気づいていましたし、ボーカリストを入れるのも違うと思って断りました。なんだかんだいって、文芸ロック的なモノを貫いていますね。 ――人間椅子のもう一つの特徴として、和嶋さんと鈴木さんの出身地である青森の方言があります。 和嶋:我々の一つのスタイルなので詩集にもいくつか入れました。西洋の音楽におけるキリスト教の基盤が僕らにはないから文芸ロックを書いたわけですけど、その延長線上でなにかしら説得力を持たせるルーツを使うのもいいと思いました。例えばイギリスのシン・リジィは、アイルランド民謡をとり入れている。見事に成功していますが、とはいえ日本人がアイルランド民謡をやってもしょうがない。それで、津軽弁の歌詞を書いた。自分ら地方出身者が田舎者だと恥じることなく、隠すのではなく、逆にコンプレックスを積極的にとり入れる方がロック的というか、表現としていい。過去にフォークの三上寛もやっていてカッコよかったですけど、それをロックでやった。津軽弁の特徴は、激しさです。相手をディスる言葉が多くて、褒めることはあまりないかも(笑)。で、相手に対して否定的なことをいう場合、関西は回りくどくいうのに津軽は言葉少なく、ぶっきらぼうにズバッという。メタルに向いてると思っております。 ――初期の詩を読み返してみると、「針の山」はメタリカもカバーしたバッジー「Breadfan」に日本語詞をつけたものですけど、英語詞とはまるで違う抑揚になっていて、カバー曲なのに人間椅子のオリジナリティを象徴する1曲になっていますね。 和嶋:英語を知らなかったのがよかった。そこを調べたり読みこんだりするとオリジナルに寄っちゃうし、ただ曲から受けるイメージだけで書いた詩だったので、それが後の文芸ロックのやり方につながったんだと思います。 ――方言を使っていない曲でも、ボーカルになまりを感じさせる節回しがけっこう出てきますよね。あれは自然とそうなっているのか、意識的にやられているのか。 和嶋:鈴木君の方が顕著になまって聴こえますね。「意識してない」と彼はいっていますが、ちょっと意識していると思います(笑)。土着的に聴こえるようにメロディを作ったら、歌い方も自然とそうなったところがありますね。 ――2年前、バンドの曲へのトリビュート・アンソロジー『夜の夢こそまこと 人間椅子小説集』に関する取材の時、猟奇的な歌が書きにくくなったと話されていました。 和嶋:幻想ではない現実の猟奇というものがあるわけじゃないですか。そのイメージと直接的に結びつくのは避けたいと思うようになりました。今回の本でも書きましたけど、40代前半で自分の意識が変わり、救いがないものは作りたくないと考え始めた。表現って本来は、救いだと思うんです。宮沢賢治もゴッホも宗教と芸術は同じだといっていて、僕は同感です。そう気づいたから、はずれたものはもうやれない。 ――「夜」や「死」など世界のネガティブな部分を歌うバンドというイメージは一貫していますけど、詩集を読むと後半になるにつれ「光」、「人間」など前向きなことがらを歌うものが増えた印象がありました。 和嶋:最初から現在までずっと根底にある核は、たぶん「死」です。生まれて死ぬ、特に「死」の側を歌うのが僕らだと思います。ただ次第に「生」を全うして「死」を迎える方がいいと、前以上にいうようになってきた。最近の詩にも「死」という言葉は出てきますし、身近で誰もが経験することでしょう。なのに、YouTubeなどでは「死」というワードが規制されている。「自殺」は使えないし。そういうものを見ないようにする文化が形成されるのは、おかしい。だから、これからもいっそうやっていこうと思います。 ――収録作のなかから「無情のスキャット」を書名にしたのは、ご自身の選択ですか。 和嶋:そうです。冒頭に収録した最初期の「鉄格子黙示録」は、僕の詩の方向性が決まったものだし、それにしたかったんですけど、編集者に相談したら「イメージが暗すぎる。そのタイトルでは売れないんじゃないか」となった。「無情のスキャット」は人間椅子が認知される第二のきっかけとなった曲だし、「生」を全うして「死」を迎えることに意味があると気づいた後の詩なので書名にふさわしいと思いました。 ――詩集の後半では「世界」という言葉も多くなっています。 和嶋:個人の印象だけに頼るのではなく、俯瞰して書くようになりました。世界をどうとらえるかを書きたくなった面もある。ただ、我々が今いる地点で見えるものを時代そのままに書いちゃ駄目なんです。すぐ色あせて次の年には世界もどんどん変わるから。もうちょっと普遍的に、といってもここ2000年くらいの普遍で書ければと考えています。 ――題材とする文芸作品も、最近のものは使わないですよね。 和嶋:ある時期から(作家の)文章がライトになって、日常を切りとるものが多くなったし、共感できない。するとどうしても三島由紀夫以前というか……。 ――わりと新しめの題材だと「人間の証明」(森村誠一)がありますけど、これにしても1970年代ですものね。 和嶋:「人間の証明」はタイトルがカッコよすぎる。例によって僕の詩は小説と全然違いますけど。小説のタイトルって文章の才能がある人がつけたものだから、タイトルだけですでになにかを語っている。自分はなかなかその域にいけません。 ――『夜の夢こそまこと』に短編を書かれていましたけど、小説を書くことについては。 和嶋:自分のなかで一番難しい。詩は原稿用紙1、2枚で言葉を削る作業ですよ。小説は言葉を増やす作業だし、短編でも原稿用紙何十枚、その中で膨大な言葉に矛盾があったらダメでしょう。KADOKAWAで小説を書いたら、矛盾点に校正の赤字がものすごく入りました。小説だと1回伏線を張ったら回収しないとダメ。その伏線をいくつもだなんて、ミニアルバム1枚作るくらいのエネルギーと構成力が必要です。詩だと構成が破綻していてもOKなんです。1番と3番で違うことをいっても、なんかよく聴こえる。詩を読む人のイメージにゆだねられる部分があるんです。イメージをすべてこちらで提供しなければいけない散文は、表現の角度があまりに違うので難しい。 ――俯瞰で詩を書けるようになったという変化の理由はなんでしょうか。 和嶋:自分の主観のみでやっていくことに行き詰まりを感じたんでしょうね。完全に概念先行になっちゃった時期があったんです。なにをいいたいかより猟奇的なもの、気持ち悪いもの、B級映画的なものでただ怖くすればいいみたいな感じでしか書けない時期があって行き詰まった。その後、貧乏生活でアルバイトをする中真剣に読書をしたりと、日常でもいろいろ試練があったので、それで変わることができました。 自分がなにをいいたいかがわかったから、詩も俯瞰で書くということに気づけた。ピカソだって、そうだったんじゃないですかね。彼も世界平和や愛を描いていると思うんです。子どもの絵のような純粋なものを描くべきだとなったから、ああいうスタイルに変わったわけでしょ。死ぬまで表現し続けている人って、やっぱり1回はそういう変化があってやれるようになるんじゃないかな。
円堂都司昭