【袴田事件】約半世紀の獄中生活を経て、ようやく「再審無罪」へ…袴田巌さんの心の深淵を描く迫真のドキュメンタリー
ありのままの姿
日本の司法史上、確定死刑囚が再審で無罪となったケースは過去に4件のみ。だが、その「5件目」に数えられることが確実視されている「袴田事件」の再審判決公判が、9月26日に開かれ、午後2時より判決が言い渡される。 【写真】釈放後の袴田巌さんに密着 その袴田さんの「再審無罪」に合わせ、ひとつのドキュメンタリー映画が公開される。 『拳(けん)と祈り -袴田巖の生涯-』。 これまでにも「袴田事件」をテーマにした記事や映像は数多あった。が、逮捕から58年、そのうち47年7カ月を獄中で過ごし、現在、88歳となった袴田巖さん本人の、ありのままの姿をここまで映し出し、心の深淵に迫った作品はないだろう。 映画を紹介する前に、彼の名前が冠された冤罪事件と、再審までの苦難の道程について、いま一度、振り返っておきたい。 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼し、焼け跡から一家4人の他殺体が見つかった。事件から約2カ月後、静岡県警は強盗殺人、放火などの容疑で、元プロボクサーで、同社の住み込み従業員だった袴田さん(当時30歳)を逮捕した。 袴田さんは、激しい拷問を伴った、長時間にわたる違法な取り調べによって、いったんは犯行を「自白」したが、公判段階では一貫して無実を主張していた。しかし、68年、一審の静岡地裁は彼に死刑判決を言い渡し、80年には、最高裁が袴田さんの上告を棄却。死刑判決が確定した。
裁判官との再会
ちなみに、一審、静岡地裁の主任判事(左陪席、判決文を起案する)だった熊本典道氏は、公判当初から袴田さんの自白に疑念を抱き、無罪の心証を持っていた。判決に際しても、無罪の判決文を書いたが、裁判長ら3人の合議で多数決に敗れ、泣く泣く死刑判決に書き換えたという。 一審判決から半年後、熊本氏は、袴田さんに死刑判決を下したことを苦に裁判官を辞職。以降、約40年にわたって公の場から姿を消していたが2007年、国会の院内集会で当時の経緯を告白した。さらには元担当判事として袴田さんの無実を訴え、再審を求める陳述書を最高裁に提出したのだ。 その後も熊本氏は、自責の念に苛まれながら余生を送り、2020年、袴田さんの無罪判決をみないままこの世を去った。だが、本作品にはその2年前、病床の熊本氏が、釈放された袴田さんと約50年ぶりに再会するシーンも収められている。 話を袴田さんに戻そう。 死刑判決確定から1年後(1981年)、袴田さんは再審請求を行うが、地裁、高裁、最高裁でいずれも棄却された(2008年3月)。しかし、袴田さんの姉、秀子さんが翌月に申し立てた第二次再審請求によって、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、6年後の14年3月、再審開始を決定した。 村山裁判長は決定理由で、弁護団から新たな証拠として提出されたDNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価。その一方で、事件発生から1年余り後に味噌樽の中から発見され、有罪の最有力証拠とされた、シャツなどの5点の衣類について「(捜査機関によって)捏造されたものであるとの疑問は拭えない」と断じた。