日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか? 【写真】「知の巨人」松岡正剛が日本人に伝えたかった、「日本文化」の重要な視点 昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。 2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。 ※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
「わかりにくさ」こそ日本文化
日本文化はワビとかサビとかばかり言って、どうもむつかしいというふうに言われてきました。だからわかりやすく説明してほしいとよく頼まれます。 しかし、この要望に応える気はありません。断言しますが、日本文化はハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂があるのです。 わかりやすさを求めればいいというものではありません。空海の書、定家の和歌、道元の禅、世阿弥の能、長次郎の茶碗、芭蕉の俳諧、近松の人形浄瑠璃、応挙の絵、宣長の国学、鴎外の小説、劉生の少女像に何か感じるものがあるというなら、わかりやすくしようなどとは思わないことです。 かれらが放った「間架結構」「有心」「朕兆未萌」「時分の花」「面影」「さび」「もどき」「古意」「簡浄」「美体」などというコンセプトそのままに、日本文化を会得していくべきです。 それがあまりにもむつかしいというなら、では聞きますが、プラトンのイデア、ラファエロの天使、スピノザのエチカ、カントの理性批判、ドストエフスキーの大審問、プルーストの時、デュシャンの芸術係数、サルトルの実存、コルトレーンのジャズ、ウォーホルのポップアートは何によって「わかった」と言えたのでしょうか。 私はそれらが「わかる」のであれば、日本の哲学や美も「わかる」というふうになるはずだと思います。 多少の手がかりは必要です。私はそれをジャパン・フィルターというふうに名付けました。なかでも客神フィルター、米フィルター、神仏習合フィルター、仮名フィルター、家フィルター、かぶきフィルター、数寄フィルター、面影フィルター、まねびフィルター、経世済民フィルターなどが有効です。本書で点検してみてください。