日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」
「おもかげ」「うつろい」こそジャパン・スタイル
日本文化の正体は必ずや「変化するもの」にあります。神や仏にあるわけでも、和歌や国学にあるわけでもありません。 神や仏が、和歌や国学が、常磐津や歌舞伎が、日本画や昭和歌謡が、セーラー服やアニメが「変化するところ」に、日本文化の正体があらわれるのです。 それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通してやってくる。これがジャパン・スタイルです。 しかし、このことが見えてくるには、いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画などについて目を凝らし、そこに浸って日本の歴史文化の「変化の境目」に詳しくなる必要があります。 白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は、その「変化の境目」がどのようなものであるかを雄弁に語ります。そこは見逃さないほうがいい。それはアン女王戦争がわからなければピューリタニズムがわからないことや、スペイン継承戦争がわからなくてはバロックが見えてこないことと同じです。 ところがいつのまにか日本文化というと「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・スーパーマリオ」に寄りかかってしまったのです。それでもかまいませんが、それなら村田珠光の『心の文』や九鬼周造の『「いき」の構造』や柳宗悦の『民芸とは何か』や岡潔の 『春宵十話』はどうしても必読です。せめて山本兼一の『利休にたずねよ』や岩下尚史の『芸者論』や中村昇の『落語哲学』はちゃんと読んだほうがいい。 日本は一途で多様な文化をつくってきました。しかし、何が一途なのか、どこが多様なのかを見究める必要があります。日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。これはムリです。 安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。本書がその歯止めの一助になればと思っています。 さらに連載記事<「知の巨人」松岡正剛が最期に日本人に伝えたかった「日本文化の核心」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛