病院のロビーで息を引き取る…能登半島地震の後に低体温症で亡くなった母について災害関連死の審査に申請
地震後の避難生活で健康状態が悪化するなどして亡くなる災害関連死。石川県内では5月、初めて審査会が開かれ、30人が災害関連死と認められた。亡くなった家族は災害関連死なのかどうなのか。もどかしい思いを抱く遺族を取材した。
「地震がなければ生きている」
「こっちがお母さんでこっちがお父さん、いつも触っています。お参りすればいいけど…触りたい…」。2つ並んだ骨壺。石川県輪島市に住む平田真由美さん(53)は2024年、両親を亡くした。父親が亡くなったのは2月。持病を悪化させた病死だった。一方、母親は地震直後の1月4日に亡くなった。笑顔が素敵な母・あつ子さんの写真を手にした平田さんは「ニコニコと。私には怖いんだけど」と話す。優しくも自分を曲げない強さを持つ母。家に様子を見に来る平田さんをいつも笑顔で迎えてくれた。 「本当はきょうもいるはずなんですけどね。そう考えるとまた泣くんです」と話す平田さん。地震によって母親の命が奪われたと考え、災害関連死の申請を行った。「たまに忘れるの。自分でもおかしいけど、死んでないって思う時がある。地震がなかったら普通の生活をしているし、絶対関連死なんだけど、認めてくれないっていうか。地震がなかったら絶対生きてるんです」。
自衛隊に助けられた母
地震が起きた元日。離れて暮らす平田さんとあつ子さんは、それぞれの自宅にいた。あつ子さんを助けにいきたかった平田さん。しかし道路状況が悪く、迎えに行くことはできなかった。「母親のところに電話をかけて、大丈夫そうなんですけど。母は動けないから逃げようがないんですよね。足が悪くて立てないから」。電話口から聞こえる母の声に、差し迫った命の危険は感じなかった。足が悪く、長く車椅子生活をしていたあつ子さん。歩くことができないため、自ら避難することはできなかった。 あつ子さんが自宅で動けずにいることを知らせようと、名前や住所などを友達に頼んでSNSに投稿してもらった。そして大地震から2日経った1月3日。駆け付けた自衛隊によって、あつ子さんはようやく救助された。その後、避難所となった近くの公民館へ身を寄せたあつ子さん。しかし、そこで容態が急変した。「私の携帯に病院から電話がかかってきて、私が病院に行ったのが4日?いつも寒がらんお母さんが低体温になってて」。避難所での寒さが堪えたのか、あつ子さんは低体温症となり、市内の病院に運ばれた。