西麻布で飲み歩く“港区女子”が「丸刈りのモンチッチ」に…グラドルから競輪選手に転身した日野未来(31)が経験した“想像を絶する”トレーニング
「筋肉痛を超えて、もう無みたいな感じでした(笑)」
ーー日野さんはスポーツ経験がなかったわけですが、基準タイムを超えるというのは相当大変だったのではないですか。 日野 毎日のトレーニングは辛かったんですけど、嫌だなとか苦しいなとは思わなかったです。自転車に乗り始めたら、タイムが少しずつ伸びていく。私にとってはそれがすごく楽しくて。選手を目指してからお酒をやめたんですが、そうすると体がどんどん健康になっていって。それも楽しくって。 奈良競輪場の方に実は基準タイム自体を教えてもらってなかったんです。「とりあえず、よくなるよう練習しろ」「そんなタイムじゃ受かんないぞ」とだけ言われていて。知識なく練習を始めたので、がむしゃらに頑張れました。私より大変だったのは師匠や面倒見てくれた奈良の先輩選手だと思います。 ーー競輪選手のトレーニングでは、永遠と筋肉痛が続くと聞きます。 日野 筋肉痛を超えて、もう無みたいな感じでした(笑)。肉体が疲れ果てていて、痛いとかじゃないんです。でもマッサージに行くお金もないので、全然ケアとかもせずに、そのままずっとトレーニングを10か月、ほぼ休みなくやりました。本当は筋肉のことを考えると、もっと効率よく休養日をいれなきゃいけないんですけど、本当に必死すぎて。 ーーその甲斐があり、2017年に日本競輪学校に合格します。学校生活はどうでしたか。 日野 高校にはあまり行ってなかったので、集団生活自体が新鮮で楽しかったです。同期は21人いて、陸上競技をやっていた方、車のディーラーや溶接工をやっていた方だったり、いろいろなところから来てました。 学校自体も入学までの練習が大変だったので、入ってからは楽になりました。ただ特別教室というのがあって、それはきつかったです。オリンピックを目指す子だったり、エリート的な選手が呼ばれて、校長先生の滝澤正光さんが直に練習をみてくれるんですけど、50キロで走るバイクに引っ張られながら自転車を漕いだり。それがきつくて、呼ばれた選手はみんな泣いてました(笑)。 ーー競輪学校での成績はよかったそうですね。 日野 年に数回ある記録会では1位を取ることができました。パリオリンピックに出場していた佐藤水菜ちゃんより速く走れたけど、人生で勝てたのはここだけでしょう(笑)。学校生活ではレースがないので、記録会でいいタイムを出すことに命をかけてました。
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