デフレ脱却、SNS規制… NHK大河「べらぼう」が100倍楽しめる現代的視点
参考になる「賄賂まみれ」の政治家
日本がデフレからの脱却を企図するようになって、もう30年になる。その期間は「失われた30年」と呼ばれる日本の経済の長期停滞と重なる。むろん、石破茂総理はデフレ脱却を最優先課題と位置づけているし、そもそも2012年末に発足した第2次安倍内閣が当初から掲げていた目標もそれだった。日本銀行が「異次元緩和」と呼ばれる極度に緩和的な金融政策を導入したのも、デフレ脱却をめざす安倍政権の意を受けてのことだった。 【写真を見る】ちょんまげ姿の横浜流星
しかし、デフレからの「脱却宣言」はいまなおなされていない。現在の物価上昇は、表面的にはインフレを思わせるものの、それは極端な円安が原因で起きていることであり、現に、賃上げが物価の上昇に追いつけない状況が続いている。 いずれにせよ、この30年で、世界と比較したときにすっかり貧乏になった日本人の所得を引き上げ、日本の活力を取り戻すためには、デフレから脱却することが必須だが、その点で参考になる時代が過去にある。しかも、その時代が2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で描かれるので、見逃せない。 その時代の寵児だった主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)が要チェックなのはいうまでもないが、時代の立役者からも目を離せない。その名は、中学や高校の歴史の授業では、賄賂まみれの政治家であったかのように教わった、悪名高い田沼意次(渡辺謙)である。
父の代の足軽から5万7000石の大名に
江戸時代は身分が固定された時代ではあったが、例外は少なくない。幕府の最高職である老中として権勢を振るった田沼意次もその一人で、父の意行は元来が紀州徳川家の足軽にすぎなかった。そんな意行を小姓として取り立てたのは、まだ紀州藩主になる以前の徳川吉宗で、吉宗が藩主になり、ついには8代将軍となったことで、意行も幕臣となり、禄高600石の旗本にまで出世した。 意行の嫡男として享保5年(1720)に生まれたのが意次で、16歳のとき吉宗の嫡男で9代将軍になる家重の小姓に抜擢された。以後は順調に出世を重ね、寛延4年(1751)に御側御用取次になり、宝暦8年(1758)に美濃国(岐阜県南部)で起きた郡上一揆の後始末を任されてから、幕政に積極的に関与することになった。 この一揆の裁判にかかわるにあたって、意次はついに1万石の大名に取り立てられた。そして、意次の采配で郡上藩主金森家は改易になり、金森氏の側に立った幕府の役人もみな失脚したが、結果として「重農主義者」が幕政から追い出され、意次の「重商主義」的な政策を実行しやすくなったといえる。 宝暦10年(1760)、障害があった家重が隠居し、嫡男で聡明だといわれた家治が10代将軍に就任すると、意次は明和4年(1767)に側用人、明和6年(1769)に老中格、明和9年(1772)に老中へと昇り続け、また、石高も続けざまに加増され、天明5年(1785)には5万7000石の大名となった。