アジャコングが明かす、ブル中野からベルトを獲ったあとの苦悩 今はリング上で相手と「会話」をしながら闘う
――どうすれば、「その人に合った闘い」ができるようになりますか? アジャ:よく「引き出しを多く持っておきなさい」って言いますけど、自分のなかにいろんなものを持っておくといいですよね。楽しい試合もできて、激しい試合もできる。強さを求める試合もできるし、若い子とやる時にはまた違う闘い方ができる。いろんなものを吸収していけば、誰が相手でも怖くはない。最近、私は海外に行くことが多いんですけど、言葉が通じなくても、プロレスできればリングの上ではなんとかなります。 言葉も通じないし、どんな選手かもわからないですけど、試合のなかで"会話"はできます。「プロレスの基礎――ロックアップから始まったということは、プロレススクールとかで習ってきましたよね? じゃあ、なんとかなるでしょ?」とか。とりあえずプロレスができるっていうんだったら、「リングで会話しようね」という感じです。 ――リングで会話をするというのは、どういう感覚なんですか? アジャ:ある種、テレパシーみたいなものです。プロレスラーであれば持っている感覚だと思いますよ。「長与千種 還暦祭」で相手をした丸っきりの新人でも(彩芽蒼空。還暦祭でデビュー戦の相手を務めた)、「あなたが今まで培ってきたことがありますよね? じゃあ、それを全部見せなさいよ」って、ロックアップしながら伝えていく。もうちょっと上のほうの選手だと、「こいつ、今日はどこか痛めてんな」ということが組み合っているうちにわかるので、こっちが探りながらいくと、向こうも返してくる。それが会話になっていくんです。 ――彩芽蒼空選手との試合でも、会話はできましたか? アジャ:彼女にはそんな余裕はないだろうけど、それでも会話はありましたよ。彼女は今まで長い時間、練習してきたと思うんですけど、あの試合が決まるまでの6分間が今までで一番つらくて、痛くて、悲しくて、怖いという時間だったと思うんです。でも「やらなきゃ終わらない」っていうのを初めて実感したはず。たぶん彼女のなかで、「あ、この人は簡単に試合を終わらせてくれない人なんだ」と感じたはずなんですよ。 だから、彼女はあんだけ疲れて動けないながらも、私を殴り続けた。まったく力が足りなくて、ヘロヘロになりながら、それでも向かってきた。私に対して「精も根も尽き果てるまでやらせる気だ」と感じた上で、「じゃあ、やってやるぜ」という思いがたぶんあったと思う。その点では、彼女とも会話はできたのかなと思いますね。 (第5回:東京女子に感じる全女のノスタルジーと闘い続ける理由 理想は「生涯現役」のジャイアント馬場>>) 【プロフィール】 ●アジャコング 1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken
尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko