【追悼】リブのカリスマ・田中美津さん、81年の生涯。反戦デーのビラから始まった
◆かけがえのない、大したことのない私 『この星は、私の星じゃない』の公開から5年後に、美津さんは逝ってしまった。私が最後に会ったのは昨年1月、この映画がきっかけでいただいた女性文化賞の祝いの席でだった。変わらずお元気な姿で、自ら作詞し映画の主題歌にもなった曲をアカペラで披露してくれた。 「たまたま日本に生まれただけなんだよ。たまたまプチブルに生まれただけなんだよ。たまたま女に生まれただけだよ。パワフル・ウィメンズ・ブルース! ラララ、あたしのサイコロ、あたしがふるよー。どんな目が出ても泣いたりしないサ♪」 しかし……それから半年後に転倒して腰を痛めてしまい、外出が困難になったという。それでも亡くなる数ヵ月前まで現役の鍼灸師として治療にあたっていたと、息子さんから聞いた。 美津さんは最期のエネルギーを使い果たしてでも、〈居場所〉を大切にしたかったのかもしれない。あの時壊れた世界を一つ一つ自分の手で積み直し、悩みもがきながら〈私〉を生き抜こうとした、一人の女性の心の遍歴をたどる映像が遺された。 映画のラストで美津さんは微笑む。「『かけがえのない、大したことのない私』というのは私の到達地点。あなたは私かもしれない、私はあなたかもしれない。私も大したことないのよ」。 類まれな思想家の姿と肉声が、いま生きづらい人のもとへ届いてほしいと思う。あなたは一人じゃない。不運や不幸に見舞われても、それを含めた自分を肯定し、全身全力でこの星に立ち続けていた、田中美津を忘れないで。
田中美津,吉峯美和