「スパイラル」休止に思う 元五輪スケルトン代表・中山英子
1998年の長野冬季五輪でボブスレー・リュージュ競技会場として使用された長野市の「スパイラル」が、2018年の平昌五輪後に「休止」となることが明らかになりました。国内唯一の競技施設に「廃止」の影もちらつく厳しい状況を、競技者はどういう思いを抱いて見ているのか。ソルトレークシティー、トリノ五輪にスケルトン女子日本代表として出場した中山英子さんに寄稿してもらいました。 【写真】長野五輪そり競技会場「スパイラル」なぜ休止? 五輪施設のあり方は
競技の魅力を伝える場所がなくなる
4月4日、私たちそり競技の選手が練習を重ねた国内唯一の競技施設である長野市のボブスレー・リュージュパーク「スパイラル」が、2018年2月の平昌五輪シーズンにあたる今季以降着氷しない(コースに氷を張らない) ことを、管理している長野市が正式に発表した。ここに至るまで半年余、メディアの報道で段階を追って「休止」への準備が進んでいることを知らされてきた。当事者の選手として心を傷めつつ動向を見守り、このシナリオを食い止める術が簡単にみつからないことを歯がゆく思い続けていた。 海外の友人選手たちの耳にもすでに、長野のコースがなくなるということが入っており「本当か?」と事あるごとに聞かれた。平昌にコースが建設されるまでスパイラルはアジア唯一のコース。18年の平昌、22年の北京と冬季五輪がアジアで続く中で、先陣を切っていた日本はアジアのそり競技を牽引する役割を期待されていたことは言うまでもない。 1972年札幌五輪でコースが建設されて以来、国内でのそり競技が本格的に始まり、その都度五輪選手を輩出してきた。98年の長野五輪を契機に北海道以外でも裾野を広げ、人々に親しまれる冬季種目のひとつとして成長することを願われてきた。札幌五輪当時のボブスレー専用コースは2000年に閉鎖、リュージュコースは現在もわずかな期間開いているが国際大会の規格外であり、実質長野しかない。 国内の競技施設の損失は、現在海外転戦しているトップレベルの選手にとっては大きな影響は少ないものの、ジュニアレベルやナショナルチーム入りを目指す選手にとっては大きな痛手となる。また競技の面白さを幅広く知ってもらうための一般向け体験会などが行えなくなることにより、裾野を広げる場がなくなってしまい、競技の灯火(ともしび)が消えてしまうだろう。